【阪神】ドラ1伊原陵人、智弁学園時代に出会った「投手の理想像」偶然か必然か再び同じチームに
<陵(たか)みを目指して・連載3>
阪神は今秋ドラフトでNTT西日本の即戦力左腕、伊原陵人(たかと)投手(24=大商大)を1位指名しました。日刊スポーツでは伊原投手の幼少期からプロ入りまでの歩みを「陵(たか)みを目指して」と題し、連載でお届けします。
第3回は投手の理想像。
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阪神ドラフト1位のNTT西日本・伊原陵人(たかと)投手(24=智弁学園)は高校で出会った偉大な先輩からエースの姿を学んだ。
紆余(うよ)曲折をへて入部した奈良・橿原市立八木中学校軟式野球部でエースに成長。中学2年の11月頃には地元奈良の強豪、智弁学園から声がかかるほどの注目選手になっていた。入学直前の選抜高校野球では同校が優勝。エースは現阪神・村上頌樹投手(26)だった。同校の甲子園初優勝をもたらした2学年上の先輩右腕は、当時の自分とは何もかも違った。「キャッチボール1つにしても遠投とかも全然。投手の理想像はこの人やなって思いました」。
伊原は高校入学直後、軟式から硬式への対応に苦しみ、思うような投球ができずにもがいていた。「ボールが全然違うんで、投げられないんですよ。全然、話にならなかった」。暗闇から抜け出すために取った行動は「エースの観察」だった。練習中は村上の行動やしぐさを目で追うようになり、背中を必死に追った。
智弁学園・小坂将商監督(47)は当時をこう振り返る。「とにかく村上を見習ってというか、背中をみて俺もやるぞっていう姿勢は感じましたね」。身近にある“最高の教科書”を見て感じ取るものは多かった。「村上はランニングや筋力トレーニングを1人で黙々とやっていた。気づいたらあいつ(伊原)も同じようにやってましたからね」。
努力が実り、2年秋から背番号1を背負う。だが、またしても壁にぶつかる。味方がミスをすると、マウンド上で感情的になりイライラ。監督はそんな姿を見逃さなかった。「エースの器じゃない」。伊原自身も当時を痛感するように振り返る。「結構、感情的になっちゃう方だったので。そこは(監督に)かなり怒られました」。エース失格の烙印(らくいん)を押されたことで、目が覚めた。「徐々に直ってきて、野手にも声をかけるように、だいぶ意識していました」。伊原の変身でチームも躍進。3年春はセンバツにも出場し、3回戦に進出した。
もがき苦しみながら成長してきた高校野球。壁にぶつかりながらも、憧れの背中だけは見失わずにいた。10月24日のドラフト会議当日。1位指名直後、すぐに村上先輩からLINEが届いた。「何でお前が1位やねん(笑い)」。偶然か必然か、プロで再び同じユニホームに袖を通す。「ずっと追いかけてきた人。一緒に活躍できればうれしいです」。今度は同じ舞台で、憧れ続けた男を超える番だ。【山崎健太】(つづく)