【明治神宮大会】松坂世代以来V“シン横浜”が再び高校球界を席巻か 来春センバツも優勝候補
<明治神宮大会:横浜4-3広島商>◇高校の部◇決勝◇25日◇神宮
“シン横浜”への出発だ。横浜(関東・神奈川)が広島商(中国)を4-3で破り明治神宮大会を制した。前回Vは97年秋。松坂大輔投手を擁し、春夏の甲子園、国体(現国民スポーツ大会)を合わせた「4冠」への起点になった。あれから27年。伝説世代の6年後輩にあたる村田浩明監督(38)が、豊富な選手層を育て上げ“横浜1強”時代へのスタートを切った。
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横浜の選手たちに金メダルがかけられた閉会式に、1人いない。先発し、9回途中まで熱投した織田翔希投手(1年)だ。早くも26年ドラフトの上位指名候補と騒がれているまだ細身の右腕が、いない。
村田監督は「よくやった」と声をかけ、休ませた。「疲れ果ててましたね。いつも強がる織田もさすがにへばっていた。人間、疲れ果てるとこんな感じなんだなって」。グータッチで救援に向かった背番号1の左腕、奥村頼人投手(2年)が最後の打者を直球3球で空振り三振に仕留め、1点差を制した。
銀メダルに銀メダル。神奈川の夏は2年続けて相当悔しかった。「すごくつらくて」。公立の白山高の監督をしていた。母校横浜から野球部再建を託された。3度断り、4度目に受けた。就任5年目。勝てなければ周囲の声は厳しい。
それでも野球少年たちは「横高」の響きにあこがれる。27年前なんて遠い昔なのに、現役世代の奥村や織田は松坂世代に憧れる。村田監督は“後輩”でもある彼らと共鳴したい。
カフェに着目した。「家、仕事場…人間って第3の場所を求めるんですよ。カフェはいやすい空間で、お金を払ってでも時間と場所を買う。野球部員もそう。グラウンド、学校、寮。それぞれ厳しいんです。でも縛り付けすぎると、自分で考える時間も場所もなくちゃっちゃう」。門をたたく“スーパー中学生”たちのストレスを見極め、個性を存分に尊重する。阿部葉太外野手(2年)を、まだ上級生が在籍していた2年の夏前から主将に抜てきした。横浜高校や高校野球の伝統を最大限に尊重しながらも、令和に合わせる。グラウンドの黒板にも「NEW横浜」とあえて書く。
まずは秋を制した。横浜1強時代へ。奥村頼も「自分たちの代だけじゃなく、次の代も勝てるように」と思いは選手たちにも浸透する。来春センバツでも優勝候補だ。「横浜を倒そうと来る。それ以上につくらないと」と村田監督も油断しない。NEW横浜、シン横浜が再び高校球界を席巻するか。鍛えに鍛えて3月、新横浜から甲子園へ向かうため、のぞみ号に乗り込む。【金子真仁】
○…最速148キロ右腕の織田は神宮大会は23回1/3で自責点は1。背番号1の左腕奥村頼との2枚看板の他に、最速143キロ左腕の片山大輔投手(2年)らもおり、投手陣は全国屈指だ。野手はセンスの高い奥村凌大、為永皓の両内野手(ともに2年)ら右投げ左打ちの選手が多い。バッテリー以外のスタメン7人が左打者という試合も2試合あった。「左腕対策」と「右の強打者台頭」が春への課題になる。
◆横浜の前回V 97年の決勝で沖縄水産を5-3で破り、大会初出場で優勝した。エース松坂大輔は9回自責点1で3試合連続完投勝利。当時の横浜は松坂以外にも小池正晃、後藤武敏、小山良男ら好選手がおり、翌98年の春夏甲子園、国体も制して公式戦44連勝をマークした。