FA権を行使する意向を表明し会見する原口(撮影・加藤哉)

俺はもっとやれる-。阪神原口文仁内野手(32)が国内FA権の行使を表明した。12日、甲子園を訪れ、率直な心境を吐露。阪神では代打の切り札として絶対的な存在になったが、出場機会を増やしたい野球人としての欲求を最優先した。大腸がんの完治を告げられた節目の年の、大きな決断となった。FA宣言選手は15日から他球団との交渉が解禁になる。

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FA権の行使を表明した原口の目は、明らかに充血していた。涙や寝不足は否定し「練習を続けているので、そのせいかな、と」と苦笑いしたが、複雑な心境の表れだった。「まだ感情としては、はっきりしたものはない。ちょっと自分でも表現するのが難しい」と丁寧に言葉をつむいだ。

高卒で15年を過ごした阪神への愛着は強い。ファンの人気も抜群。それでも「もっとゲームに出たい、スタメンから勝負したい気持ちが強かった。純粋に打席に数多く立って、貢献したい」と繰り返した。

この2年間はほぼ代打専任。今年は65打席にとどまった。一方、大山の代わりに4番や5番で5試合に先発出場。2本塁打はともにスタメンだった。起用法については「不純みたいな気持ちは全くなくて。与えられた仕事を本当に100%全うしようと常々やってきた」と不満はない。一方で「4打席立ちたい」気持ちと自信もあった。毎日、大山と同じように朝から地道に準備して、どんな出番にも対応できるよう、毎日全力で過ごしてきた。

「レギュラーで出られるチャンスというか、競争できることが一番。野球人としてまだまだやれるんじゃないかという可能性を、自分の中で消せなかった。挑戦できる場所があるのならば、若い子に交じってでも勝負したい」。競争という“原点”に身を置いて、実力勝負をしてみたい。その欲求が勝っていた。

19年1月に大腸がんの手術を受け、丸5年がたった今年1月に完治を告げられた。人生においても節目の年だった。ただ、病気とFA宣言の関連は完全否定した。「球団の数多くのサポートには本当に感謝しています」と頭を下げたが、今回はあくまで野球人としての選択だった。

15日から他球団との交渉が可能になる。現状、どの球団が獲得に名乗りを上げるかは不透明で、その覚悟もできている。阪神は「宣言残留」を認めているため、出戻りの可能性もある。球団からは変わらず、強く慰留されている。先行きは何も分からないが、悔いだけは残さぬよう、第1歩を踏み出した。【柏原誠】

◆原口文仁(はらぐち・ふみひと)1992年(平4)3月3日生まれ、埼玉県出身。帝京から09年ドラフト6位で阪神入り。13年に育成契約となり、16年4月に支配下復帰。同年はオールスターにも選ばれ、107試合に出場し11本塁打という活躍を見せた。19年には2度目の球宴出場。18年の代打での23安打は、08年桧山と並び球団最多。182センチ、95キロ。右投げ右打ち。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【阪神】原口文仁がFA宣言を決めた理由「若い子に交じってでも」苦渋の心境は表情にも