練習に励む横浜FW宮市亮

思いやりある行動が目に留まった。

残暑厳しい8月26日、久里浜での横浜F・マリノスの全体練習後だった。31歳のベテランFW宮市亮は、7月に加入したアフリカのトーゴ出身20歳DF、ジャン・クロードと肩を並べ、語らいながらジョギングしていた。何周も回っていた。その間、言葉のキャッチボールが交わされていた。

ピッチから引き揚げてきた宮市に声をかけ、話の内容を尋ねた。

「練習のこととか、試合のこととか、たわいのない話です」

笑顔でそう返し、こう続けた。

「僕自身、海外でやっていて、外国人として向こうにいる立場だったので。そういう時に話しかけてくれる選手というのは僕自身、当時助かりましたし、思い出に残る選手でした。逆に彼の気持ちというのは分かります。基本的に(選手で)英語をしゃべるのも僕しかいませんし、コミュニケーションは取れているのかなと思います」

■18歳で名門アーセナルへ加入

宮市は愛知・中京大中京高からロンドンの世界的名門アーセナルに入団した。18歳だった。以前の取材で、当時のことを尋ねた時にこんな話をしてくれた。

「世界のスーパースターと呼ばれる人たちの振る舞いに影響を受けました。どんな人に対しても親切でした。常に笑顔を絶やさず、誰に対しても分け隔てなく接する。その姿を若い時に見ました」

特に印象に残る選手はいましたか? そう問うと、トマス・ロシツキー(チェコ)の名前が挙がった。ファンタジーあふれる選手でアーセナルの美しい攻撃サッカーを奏でるコンダクター、「リトル・モーツァルト」とも呼ばれた。

「本当に僕にもそうですし、ユースの若い選手にもそうです。あれだけのスーパースターがフレンドリーに、いつでもこう笑顔で話しかけてくれるだけで、本当に救われるというか。当時僕はそんなに英語もしゃべれない、日本からきた少年でした。そんな選手にもすごく親切にしてくれた思い出っていうのは今でも残っています」

欧州での10年を経て、日本に戻ってきた。繰り返すひざの負傷という苦難、そのたびに周囲の支えてくれる人の温かみを強く噛みしめた。サッカー人生の年輪を重ねたことで、人としての幹は太くなり、他人を支える意識は強くなった。

ロシツキーの思い出を語った際に、こうも話していた。

「あの頃のベテラン選手と同じ歳になってきましたけど、すごく今、昔のことを思い出すと大事だったなと思います」

■ACLで見せたチームの一体感

昨季のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)で横浜は準優勝という結果を残した。毎試合のように退場者を出し、数的不利の崖っぷちから接戦を次々と制した。チームの強みは一体感。誰も孤立させない。宮市は勝った試合直後、退場処分となった選手を真っ先に探しに行き、歓喜の輪の中に呼び入れていた。

プロなら他人を蹴落としてでもはい上がれとよく言われる。サッカー界は過酷な競争社会であることは間違いない。だが、チームが目標を達成するためには選手同士のまとまり、絆が強固でなければならない。おのずとベテランと呼ばれる宮市のような選手の心配りは、強い組織の鎹(かすがい)となっている。

7月にもこんなことがあった。成績低迷により解任されたハリー・キューウェル監督が日本から去る際、宮市ら選手たちは早朝の空港にサプライズで見送りに駆けつけた。

「朝7時、信じられない」

キューウェル監督は感激のあまり、インスタグラムに写真とメッセージを投稿している。この絆、チームの持つ雰囲気の良さこそが横浜の強みと言える。

ACLとの過酷な日程からリーグ戦では一時低迷したが、この夏場に盛り返し、現在は6位まで浮上。クラブが掲げる「アタッキングフットボール」というスタイルを取り戻している。

宮市は出場時間も限られる中、6月29日以降は公式戦のゴールがない。それでも個人成績へのこだわりはなく、あるのはフォア・ザ・チームの精神。「自分のことよりチームが勝つことが一番なので。そこはブレずにやっていきます」。

仲間やチームを思う心。常に笑顔を忘れない宮市の姿は爽快な風のように、残暑を少し涼しく、心地よいものにしてくれた。【佐藤隆志】

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 宮市亮が残暑にもたらす爽快な風 トーゴ出身20歳DF肩並べて走りながら会話、その行動の裏側