本田圭佑(パロFCの公式サイトより)

<AFCチャレンジリーグ・プレーオフ:チャーチ・ボーイズ・ユナイテッド-パロ>◇13日◇カトマンズ

サッカー日本代表として3度のFIFAワールドカップ(W杯)に出場した本田圭佑(38)がブータン1部の強豪パロFCの一員として、アジア・サッカー連盟の主催大会「AFCチャレンジリーグ」の出場権を懸けた一戦(プレーオフ)に主将としてフル出場した。2-1で競り勝ち、ミッションコンプリート。絶大な存在感で貢献し、チームに本大会への出場権をもたらした。

ネパールのカトマンズで、ぬかるんだピッチでの一発勝負のプレーオフ。本田は当初この試合のためだけに“1試合限定”で契約したブータンの強豪の背番号4、左腕にキャプテンマークを巻いて中盤の攻撃的な位置で先発した。

本大会切符をもぎ取るため“必殺仕事人”としてのプレー。アウェーで、左右のCKのキッカーを務め、守備で最終ラインまで戻ってカバーするなどユニホームを泥だらけにして奮闘。AFCの公式サイトも試合前に、本田を「エース」と表現。「チームに創造性とリーダーシップをもたらす存在」と書いた。

公式戦出場は8日、当初は予定になかった同国1部リーグでのデビュー戦に続き隣国への移動を含む中4日の強行軍。その8日は実にリトアニアのスドゥバでの21年11月4日、Aリーグのザルギリス戦(ホーム)以来、実に1008日ぶりの所属クラブでのプレーだった。

本田はABEMAの番組に生出演した際、今回の1試合限定での公式戦復帰の異例のプランについて「1試合ならいいよ、と言ったら1試合でオファーが来ました。理想の1試合の格闘家みたいなオファーが届いて緊張感があります」と話していた。

◆本田圭佑(ほんだ・けいすけ)1986年(昭61)6月13日、大阪府生まれ。摂津FC-G大阪ジュニアユース-石川・星稜高-名古屋-VVVフェンロ(オランダ)-CSKAモスクワ(ロシア)-ACミラン(イタリア)、パチューカ(メキシコ)やボタフォゴ(ブラジル)などでプレー。2008年北京五輪の日本代表。ワールドカップ(W杯)は2010年南アフリカ大会から、14年ブラジル大会、18年ロシア大会と3大会連続出場し2度の16強進出に貢献。全3大会で得点とアシストを記録。国際Aマッチ通算98試合37得点。W杯ロシア大会で、日本代表を退き、選手でありながら、カンボジア代表を実質的な監督として指揮した。起業家、投資家としても活動する。182センチ、74キロ。左利き。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 本田圭佑がカトマンズで泥んこになって大仕事 AFC主催大会の一発勝負のPOでキャプテンで奮闘