日大藤沢サッカー部の佐原部長(左)と佐藤輝勝監督

スポーツには勝敗を超えた大事なものがある。それをあらためて気づかせてもらった。

一般社団法人「日本スポーツマンシップ協会」が選定する日本スポーツマンシップ大賞2024が7月上旬に発表された。「尊重・勇気・覚悟を備えたよきスポーツマンとしての振る舞いや、よきスポーツマンシップを示した個人・団体などを表彰する取り組み」を表彰するものだ。

■ヤングジェネレーション賞

グランプリには、仙台育英野球部の須江航監督が輝いた。22年夏の全国高校野球決勝で慶応に敗れた後、勝者に向けて拍手を送り続けるなどチーム全体がグッドルーザーとしての立ち居振る舞いを見せたことへの評価からだった。

他にもさまざまな賞がある中、「ヤングジェネレーション賞」があった。今年元日の能登半島地震を受け、応援に駆けつけられない被災県の出場校を思いやる高校生に向けたもの。その期間に行われていた高校サッカー、高校バレー大会によるもので、金沢商業、星稜、仙台育英、名古屋、日大藤沢、市船橋、明秀学園日立が受賞している。

当時、全国高校サッカー選手権を取材していただけに、つい先日のことのように覚えている。日大藤沢高の取った行動はあまりに迅速で、素晴らしいものだった。12月31日、準優勝した近江(滋賀)にPK戦の末に敗退。旧チームは解散となり、翌日はオフとして正月を迎えていた。その午後に地震が起きた。

SNSで石川・星稜の試合に応援団が行けないことを知った。選手たちはすぐ行動に移す。周りに呼びかけ、佐藤輝勝監督に急造応援団の結成を直訴した。

静岡に帰省していた佐藤監督だったが、学校長、サッカー協会に「友情応援」の許可を取り付け、翌2日に千葉・柏の葉で行われた星稜戦に出向いた。対戦相手の市船橋側のサポートもあり、ライバル関係を超えた全力応援が実現。全国的にも大きな話題となった。

あれから半年を経て、受賞という1つの形となった。そこで日大藤沢高サッカー部を訪れ、受賞について話を聞いた。

■150人が結束すれば大きな力

出迎えてくれたのは、チームの部長を努める佐原和道さん(かずと=3年)だった。東京・日本橋で行われた表彰式に部の代表として出席し、受賞のあいさつもしてきた。

「SNSを見て(当時の)3年生が声かけてくれたので、すぐに応援しに行こうと思った。自分たちが身をもって応援の力を感じていたし、一体感ならどこにも負けないと思っていた。普段から自分たちには、チームが掲げる行動理念みたいなものがある。困っている人がいたら助けようと動いていたので、咄嗟(とっさ)の行動につながりました」

「助けよう」とした行動だったが、実際にやってみると、自分たちにとってもかけがえのない貴重な経験として返ってきたという。

「ほかのチームからも応援に来ていたので、自分たち以外にもこんなに来てくれる人がいるんだと思いました。横断幕に寄せ書きする時も多くの人が集まってくれましたし、1-1の同点に追い付いた時は、その場にいた人同士で抱き合って喜んだ。初めて会った人たちなのに、そこでの絆は忘れないですし、それは涙が出るくらい感動するものでした」

そしてこう続けた。

「日大藤沢というチームはサッカーの結果だけ求められているわけではない。困っている人がいたら手を差し伸べる、それは当たり前です。これだけ大勢の集団だというのが自分たちの武器です。150人いるので、部員1人1人の力が150人分になれば大きな力になります。誰かの声、1人の声で動けるのがこのチームの良さ。全員、1人1人がチームを作っているという意識を持っています」

■サッカーよりも人生の勝者に

この部の理念を作り上げているのが佐藤監督。2007年(平19)の赴任から18年目を迎える。

日本一という結果にはあと一歩のところで届いていないが、インターハイで準優勝、全国選手権で4強という実績を持つ。ただ、サッカーの指導以上に、社会性を備えた主体的人作りに長けた良き教育者である。社会に出て頑張っているOBたちの姿が、何よりの誇りだ。

今回の受賞をどう受けとめたのか。そう尋ねると「子どもたちが自分でサッカーを通じてできること、何か発信しようと提案する形をチームに構築しています。それが世の中に評価されたのは非常にうれしい。我々が、大人として助けようと言うのはできますけど、子どもたちが震災の時に感じ取って、動きができて、というのが世の中の人たちに響いた。純粋な行動の一歩目が、こういう評価していただけるというのは本当に良かったと思いました」

くしくも地震のあった能登には「和倉ユース」という有名な高校生トーナメントが毎年夏に実施されていた。全国からチームが集う大がかりな大会。そこに日大藤沢も参加していただけに、思い入れは強かった。

「サッカーでつながる縁を高校生なりに大事にしています。今も石川フェスティバルに行かせていただいていますし、そういう交流、縁があって星稜さんを応援しようと思えたところでした。そういうサッカーを通じた交流、ファミリーでやろうというのが彼らから出たのは大事しないといけない。サッカーで勝つのももちろんですけど、人生で勝ってほしい。そこは誰かを支えたり、誰かと一緒に成し遂げないといけないことです」

■7年前の心揺さぶられる試合

日大藤沢はスタンドのある立派なサッカーグラウンドを持つ。このスタンドからグラウンドを見下ろすと、7年前の光景がよみがえってきた。2017年9月10日、闘病生活を経て1年ぶりのピッチに立った選手がいた。柴田晋太朗さん。

骨肉腫を患い、命の危険にもさらされた。抗がん剤治療を繰り返し、苦難の末に帰ってきた。そこには突然、ライバル校などが応援に駆けつけた。あれほど心が揺さぶられる温かい試合は見たことがない。

星稜の応援に駆けつけた背景には、過去のさまざまな出来事も色濃くにじんでいる。当時、熱い涙を流していた佐藤監督の顔は忘れられない。

「柴田晋太朗が苦しい時に、チームのみんなも支えたけど、それ以外に東海大相模が応援に来たり、(中学時代に所属したクラブチームの)厚木ドリームスが来たり、地域の方々も応援してくれたり。我々の選手が助けてもらったので、その感覚というか、残してもらっている伝統です。困っている時こそ、何かできないかと。それをしっかり受け継いで、現3年生は今まで以上に発信しながらやっています」

ちなみに柴田さんは、その後もがんの転移と手術を繰り返したが無事に寛解。サッカーはできなくなったが、フットゴルファーとして日本代表選手にまで成長し、昨年はアメリカで行われたワールドカップに出場。不屈の姿は「24時間テレビ」でも特集された。

■スポーツマンシップとは何?

あらためて佐原部長に話を戻そう。

受賞によって何かチームに変化はあったのだろうか。そんな問いに対し、こう返答した。

「スポーツマンシップ大賞によって練習の質が変わったというのはないですが、普段から見られているという意識はあります。日大藤沢のブランド力を1人1人が高めていく。それは可能だと思うので、サッカーと並行で日常生活のあいさつとかしっかりやっていこうとしています」

日大藤沢はインターハイ予選の神奈川県予選準決勝で桐光学園に敗れ、この夏は冬の全国選手権に向けた鍛錬の時に充てる。

「桐光学園に0-3という結果を見せつけられて、1人1人が意識を変えないといけない。自分たちが出ていない分、他の高校は福島(インターハイ開催地)で成長する。宮沢キャプテンとは、地をはいつくばってでもチームを変えていくんだという強い気持ちでやっていこうと。それがないと神奈川で優勝することはできない。毎日の練習に死に物狂いで食らい付く、それをやっています」

スポーツを通して成長する上では、勝つこと(成功体験)は大事な要素となる。そこを求めながら他者の痛みも分かるように、人間性にも磨きをかけていく。

「仲間がいないとこの光栄な賞はいただけなかった。仲間に感謝しながら、このチームなら日本一になれると思いますし。サッカーだけでなく、スポーツマンの心だったり、人間性の部分でも輝ける集団になれると思います」

それでは、スポーツマンシップとは何ですか?

最後に少し難しい質問を投げかけた。すると佐原部長はこう回答した。

「スポーツには必ず勝ち負けがありますが、スポーツマンシップでも、グッドルーザーというように良き敗者、良き勝者という言葉が使われます。そういった勝ち負けにこだわらず、スポーツをしている人間は誰からも尊敬されなければいけないと思います。スポーツマンシップ、相手を思いやって、試合の勝ち負けに関係なく、感動与えられる人間になっていくことだと思います」

次世代の社会を担う高校生の言葉は、どこまでもみずみずしく、心に染みるものだった。【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 「僕らはサッカーの結果だけ求められているわけじゃない」日大藤沢高サッカー部が追い求めるもの