村上のデビューは鮮烈だった。ルーキーイヤーの2018年9月16日の広島戦。神宮球場でのプロ初打席で豪快に2ランを放った。当時18歳。ここから驚異的な速さで進化を遂げることになる。 熊本・九州学院高からドラフト1位で入団。捕手だった村上は、天性の打撃センスと将来性を買われ、三塁手に転向した。慣れない守備には苦労したが、2軍での試合後も夜間練習に励むなど努力を惜しまなかった。 18、19年に監督を務めた小川淳司さん(現ゼネラルマネジャー=GM=)は村上について「課題に向き合うことができる選手。結果として出せることがすごい」と評価する。村上は2年目には1軍の投手に対応できるようになり、全143試合に出て36本塁打と躍進した。 一方で、三振は日本選手歴代最多の184に上り、打率も2割3分1厘といまひとつだった。チームは最下位に低迷し、シーズン中は勝利への貢献度の観点から村上を2軍に落とそうという意見が首脳陣の間でも少なくなかった。それでも小川さんは周囲を説得し、根気よく使い続けた。 「打席での姿勢や雰囲気から、本塁打を打ってくれるんじゃないかという期待感とわくわく感を強く感じる選手だった」。大打者の風格、そして反省を忘れず妥協をしない村上の人間性。必ず進化すると信じ、大砲は誕生した。 村上の三振数は翌20年から大きく減った。昨年は39本をマークして初の本塁打王に輝くと、今季は王貞治(巨人)を抜く56号を記録するまでに至った。新人時代の村上を指導した北川博敏・現阪神コーチは、「球界を代表する長距離砲になるとは思っていたが、まさかこんなに早くとは」。22歳の快挙に驚くばかりだった。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕本塁打を放った村上(左)を祝福するヤクルトの小川監督=2019年9月、マツダスタジアム