東京パラリンピックの成果は。大会テーマとして掲げられた共生社会の実現は。日本パラリンピック委員会(JPC)の河合純一委員長(47)に聞いた。 ―東京パラから1年。 大会を通じてパラリンピック、共生社会という言葉の理解とまではいかないが、認知度が高まったのは事実だと思う。 ―競技者も増えた。 東京大会後に募集したジャパン・ライジングスタープロジェクトで、応募が前年に比べて倍増したのは大きな変化。多くの大会映像が流れる中で、記録も報道され、自分と同じ、あるいはもっと重い障害の人がいい記録を出していた時にすごいと思い、そこで戦ってみたいという気持ちも出てきたのでは。 ―大会が残したものは。 今までは決定権のある人の意見で決まる方式だった。それがジェンダーバランスを考えて意見を聞き、障害のある当事者とともにつくることで、より良いものになるというプロセスをみんなが知っていったことが大きい。 ―テーマだった共生社会の実現について。 ノウイング(knowing)、ドゥーイング(doing)、ビーイング(being)が共生社会に向けての3ステップ。パラリンピックという言葉を知り、障害者が社会にいることを多くの皆さんが理解をした。東京大会はその第1段階をクリアしたにすぎない。 ―次のステップは。 例えば障害のある方と職場で一緒になったらどうするか、横断歩道で視覚障害の人を見掛けたら何ができるか。意識して考えて実行に移せるレベルがドゥーイング。ここを目指すのが多くの皆さんが言う共生社会の理想像だけど、僕はもう1個先を見据えてほしいと言っている。 ―それがビーイング。 意識しなくても当たり前である状態を目指さないと共生社会ではないと思う。意識して何かができるのは通過点。社会全体がそういう認識に立てるよう変わらないと。 ―目指すべきところは。 僕の共生社会のイメージは、個性をつぶさずに交ざり合うフルーツポンチ。(つぶして混ざる)ミックスジュースじゃない。お互いを生かし合うということが大事だと思う。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕インタビューに答える日本パラリンピック委員会の河合純一委員長=6月28日、東京都中央区