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主将を打診された時は迷いもあったという。「五輪の個人種目でメダルを取っている選手もたくさんいる。自分でいいのか」。関係者からの信頼を受け止めて貴重な経験を積み、「やってみてよかった」と今は言える。
2013年に東京開催が決まった時は「もしかしたら自分のキャリアのピークになるかもしれない」と感じ、ずっと意識してきた。直前の数カ月は「競技人生の中で間違いなく一番ハードだった」。21年6月に9秒95の日本新記録を樹立したが、「調子が上がっていた感覚がする一方、体がどんどん悲鳴を上げていたような感じもあった」。体重も増減を繰り返し、コンディション維持に細心の注意を払ってきた。
本番は100メートルで予選敗退、2走を務めた400メートルリレーでは決勝でバトンを受け取れなかった。悔しい結果に終わり、「パリ(24年五輪)で自分の可能性を試したいという思いは強くなった」。走りを改善するために右膝手術に踏み切り、復帰後は9秒8台を狙う。
日本選手団は史上最多の金27を含む58個のメダルを獲得したが、思うような結果を残せなかった選手も多い。その1人として、「絶対に失敗できないと思いながらやることが、成功から自分を遠ざける」と学んだ。
スポーツの価値とは何か。選手団主将として人一倍考えた。導き出した答えは「結果を出すことも出せないこともスポーツ。見ている人の心を動かせるようなもの」。
◇山縣亮太の略歴
山縣 亮太(やまがた・りょうた)広島・修道高、慶大を経てセイコー所属。陸上男子100メートルで五輪3大会に出場し、12年ロンドン、16年リオデジャネイロは準決勝進出。18年ジャカルタ・アジア大会は10秒00で銅。21年6月の布勢スプリントで9秒95の日本新記録。400メートルリレーではリオ五輪で1走を務めて銀。30歳。広島県出身。 (了)
【時事通信社】
〔写真説明〕陸上男子の山縣亮太=6月17日、横浜市港北区の慶大日吉キャンパス