近江のエース山田は、左足に死球を受けながら170球を投げ抜いた前日の影響が明らかだった。二回を終えた時点で「真っすぐは130キロも出ないと分かっていた。これ以上チームに迷惑は掛けられない」。三回に2ランを浴びて計4失点となったところで自ら交代を申し出た。 多賀監督は「握力がないということだった。彼の将来を考えると先発させるのは間違いだった」と悔いた。2番手星野は三~五回を2失点でしのいで望みをつないだものの、六回以降に大量失点した。主将でもある山田はベンチからチームを鼓舞し続けたが、終盤は守りのミスが多発。守備からリズムをつくる近江らしい野球をできず、巻き返せなかった。 ただ、開幕予定の前日に急きょ決まった繰り上げ出場ながら、気迫あふれた戦いぶりで準優勝したのは力がある証拠。近畿の補欠1位として実戦を意識した準備を怠らなかったことが生きた。監督は「一戦ごとに成長した。夏へ向けて、一人ひとりのさらなる精進に期待したい」。 甲子園の決勝は2001年夏以来。あと一歩まできた滋賀県勢初の頂点は遠かった。山田は落ち込むことなく「次こそは日本一という気持ちでいっぱい」と言った。(了) 【時事通信社】 〔写真説明〕3回表大阪桐蔭無死一塁、松尾(右)に2ランを打たれた近江先発の山田=31日、甲子園