カーリング女子日本代表「ロコ・ソラーレ」のチーム名は「太陽の常呂っ子」から来る。北海道北見市常呂町。オホーツク海沿いの小さな町には日本初のカーリング場があり、多くの五輪選手を送り出してきた。競技普及とカーリング場建設に情熱を傾けた一人が北海道農業協同組合中央会の会長を務める小野寺俊幸さん(70)だ。 1980年、小野寺さんは道内の池田町で行われた2日間のカーリング講習会に参加した。その後は仲間とこの競技に熱中する。氷点下20度の深夜に何日もかけて水をまき氷をつくった。試合も夕方からで「毎日が自然との戦いだった」と振り返る。 専用カーリング場建設の機運が高まったのは89年の国体の約3年前。視察に訪れた当時の横路孝弘知事が競技を楽しむ人々を見て、支援に乗り気になった。最後の関門は町議会。予算を決める日、小野寺さんら約30人が狭い傍聴席に陣取って無言で熱視線を送り続け、「多数決で決めたら、ほとんど反対がなかった」。88年に完成。五輪への夢の始まりだった。 町の小中学校の体育にカーリングを加えてもらったり、有望な中学生を誘ったりと、小野寺さんや仲間たちの活動は続いた。正式競技になった98年長野五輪では常呂出身の選手たちが活躍。小野寺さんの娘、小笠原歩さんも3度の五輪に出場した。18年平昌五輪ではロコ・ソラーレが日本勢初のメダルを獲得。競技を通じて世界が近くなる―。そういった夢を子供たちとその親にも与えてきたという。 小野寺さんは「カーリングにかけた人生は一つのまちづくりでもあり、何でも努力すればかなえられる」と語る。40年前の寒い夜空の下でストーンを投げ、競技を楽しんだ故郷の人たちの思いは、北京で彼女たちの背中を押すことだろう。 (時事) 【時事通信社】 〔写真説明〕屋内カーリング場ができる前、外で試合をする常呂町民ら。右奥は小野寺俊幸さん=1985年2月(北見市立常呂図書館提供)