株式会社リニカル:医薬品開発からグローバルCROへの挑戦と成長ストーリー
1990年、マルホ株式会社開発本部臨床開発部に入社。
1999年より藤沢薬品工業株式会社(現アステラス製薬株式会社)開発本部医学調査部にて免疫抑制剤の臨床試験に携わる。
2005年に創業者として株式会社リニカルを設立し、代表取締役社長に就任(現任)。
治験にかかる多岐にわたる業務を代行するCRO事業を中心に、製造販売後の医薬品の臨床研究・調査を請け負う育薬事業、開発初期における戦略策定や薬事対応などのコンサルティングを行う創薬支援事業の3つの事業を行っています。
医薬品開発のプロフェッショナルとして、創薬段階から臨床開発、製造販売後の育薬まで一気通貫でサポートしています。
これまでの事業変遷について
冨田:初めに、設立から現在までの事業の変遷について教えてください。
株式会社リニカル 代表取締役社長・秦野 和浩氏(以下、社名・氏名略):勤めていた藤沢薬品が2005年に山之内製薬に吸収されたのが独立のきっかけです。もちろん転職する選択肢もありましたが、今までやってきた医薬品開発の道で、自分でチャレンジできるのではないかと思い起業しました。私は藤沢薬品が大好きでしたので、もし合併がなければ絶対やめてなかったと思います。
製薬企業に勤めていた当時より、医薬品をグローバルで一気に開発し、スピーディーに患者さんの元に届けることが必要である、という問題意識がありました。そのためには「日本発のグローバルCROを作る」べきと考え、まずは「3年で上場する」ことを目標に掲げました。おかげさまで3年半ほどでマザーズに上場し、起業から7年半の2013年3月に東証一部に上がることができました。
東証一部に上がったことで資金調達ができる環境も整い、創業当初からの目的でもあったグローバル展開をより加速させることができました。現在では売上の60%以上が海外になっています。
冨田:素晴らしいサクセスストーリーですね。やはり今回の新型コロナウイルス感染症は御社にも影響があったのでしょうか。
秦野:はい、当社にもかなりの影響がありました。今回痛感したのは南半球に拠点を保つことの重要性です。インフルエンザにしても、新型コロナウイルスも冬に流行りますが、当社は北半球にしか拠点がないため、治験に2年かかってしまいました。一方で、南半球にも拠点を構えるグローバルの大手は1年で治験を完了し、より早くワクチンを届けることができます。今後、当社がグローバルの大手と競争していくためにも一年中治験を実施可能な環境が必要ですので、南半球への進出の準備を進めています。
経営者としてのルーツ、過去の経験から積み上がったご自身の強み
冨田:秦野社長の過去のご経験についても教えてください。
秦野:私は薬科大学の卒業ですし、薬剤師として医薬品開発の経験しかしてきておらず、起業するまで会社の経営に関しては素人でした。会社を作ってからは経営の本をとにかくたくさん読んで勉強をしました。その中で、例えば日本の会計基準と国際会計基準の違いであったりといった世の中の仕組みを理解し、それを実践してきました。そのような積み重ねの結果、M&Aやマネジメントにおいても一定の成果を残すことができていると感じます。
今後のテーマと思い描いている未来構想について
冨田:次に御社の未来のお話をお伺いできればと思いますが、今後の未来構想についても教えてください。
秦野:先ほど申し上げた南半球への進出に加えて、医薬品の最大市場である米国でのM&Aによりグローバル展開をさらに進め、画期的な新薬を世界の患者さんに届けたいと考えています。
世界の新薬開発状況に目を向けると、約70%がバイオベンチャーから出てきており、そのうち半数以上は日本で治験すらされてないという現状があります。当社としては、今後はバイオベンチャーとの連携を強化しつつ、グローバルワンストップで臨床試験を実施できる体制を構築することで、日本でも画期的な新薬が使用可能な環境を作っていきたいと考えています。
ZUU online ユーザーならびにその他投資家へ一言
冨田:最後に、ZUU onlineユーザーに一言お願いします。
秦野:日本の企業で海外でのM&Aを成功させてきた事例はなかなか無いですが、当社は既に3回成功させることができました。今後はこのノウハウを次世代の経営者にもしっかりと伝えていきたいと考えています。また、投資家の皆様には売り上げだけではなく、当社のようなM&Aを活用した成長のポテンシャルにもぜひ注目いただきたいと思います。
- 氏名
- 秦野 和浩(はたの かずひろ)
- 会社名
- 株式会社リニカル
- 役職
- 代表取締役社長
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