ショウジョウバエを使った研究が、双極性障害などの分子機構にもブレークスルー



2026年9月24日

国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)



ポイント



■ “即時性シナプス増強”(神経細胞の連発した活動によるシナプスの即時的強化)の分子機構を解明



■ シナプトタグミン7の分子内相互作用が即時性シナプス増強を起こし、それが即時記憶を作る



■ シナプトタグミン7の分子機構の解明は、双極性障害、がんなどの治療に応用される可能性がある



 



 国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT(エヌアイシーティー)、理事長: 大野 英男)の吉原 基二郎(よしはら もとじろう)上席研究員らのグループは、未来ICT研究所において、即時記憶を担う分子的基盤を発見しました。瞬時にシナプス伝達を強くする“即時性シナプス増強”は古くから知られていても、その仕組みも意義も分かっていませんでした。それがシナプトタグミン7というタンパク質の分子内相互作用によって起こることを発見するとともに、その分子の作用が、今まで何の仕組みも分かっていなかった即時記憶にも機能しているという手掛かりを得ました。本研究成果は、更に長期記憶の仕組みの理解に発展し、記憶の基本原理解明につながることが期待されます。また、遺伝学のモデル動物であるショウジョウバエを活用したシナプトタグミン7の分子機構解明は、シナプトタグミン7の関与が示唆されている双極性障害やがんなどの分子機構の理解にも突破口を開き、治療へ応用されることが期待されます。



 なお、本成果は、2026年9月21日(月)に、米国科学雑誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載されました。



 



背景



 未解明な脳内の記憶の仕組みが明らかになると、これまでよりも脳の機能に近い知的情報処理をデザインできます。そこで、NICT未来ICT研究所 記憶神経生物学プロジェクトでは、脳内情報通信のキーである記憶の基本原理を追求し、それを情報通信に応用する研究に取り組んでいます。



 



今回の成果



 “たった今見たもの”、“たった今聞いたこと”を私たちは鮮明に記憶しています。櫻井晃研究マネージャー、藤居孝聡研究技術員、吉原基二郎上席研究員のグループは、今まで実験的にアプローチする手掛かりさえもなかった、この即時記憶の分子機構を発見しました。



 当グループは、まず、活動電位が連発するにつれてシナプス伝達が強くなる“即時性シナプス増強” の仕組みに着目しました。即時性シナプス増強は古くから知られる、主な生理学者が着目してきた顕著な現象でしたが、その仕組みも意義も分かっていませんでした。当グループは、可塑性に富み、詳細な遺伝解析が可能なショウジョウバエ胚(卵)のシナプスの利点を活用したシナプス伝達の遺伝解析により、シナプトタグミンファミリーの中で低濃度のカルシウムに反応するシナプトタグミン7 (Syt7)が、前の活動の残り香のような“残存カルシウム”に反応して伝達物質の放出確率を上げていることを見出しました(図1参照)。“ショウジョウバエならでは”の詳細にわたる遺伝解析により、Syt7の一つのドメイン(C2B)によるデフォルトの放出抑制をもう一つのドメイン(C2A)が解除することによって放出確率を上げていることが明らかになりました。



 



【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202609105643-O1-v3e84gmg



図1 即時記憶と即時性シナプス増強の仕組み



Syt7の分子内相互作用によって抑制が解除される



 



 この遺伝解析の過程で、即時性シナプス増強が特異的に欠損した様々な突然変異体が発見されました。これらの突然変異体の記憶能力を、ショウジョウバエ成虫を使った独自のパブロフ条件反射の実験系(関連する過去のプレスリリース(2021年8月5日)参照)を用いて調べたところ、顕著な記憶異常が見付かりました。この結果は、瞬間的にシナプス伝達を強くすることができる即時性シナプス増強こそが即時記憶の脳内実体の少なくとも一部である可能性を示唆するもので、これまで全く手掛かりすらもなかった即時記憶の仕組みの解明に向けて、初めて突破口が開かれました。



 一方、本研究は、ショウジョウバエ遺伝学を駆使してSyt7の働く分子メカニズムを初めて解明した研究であるため、Syt7の関与が示唆されている疾患の治療にもブレークスルーを作ることが期待されます。例えば、双極性障害の患者ではSyt7が少ないことが報告されていますが、その影響でドーパミンなどの神経修飾物質分泌の抑制が健常者に比べて不足し、分泌過剰を生じることが症状に影響している可能性があります。また、双極性障害の患者において報告されている即時記憶の一種であるワーキングメモリーの異常も本研究からその理由が理解されます。双極性障害の代表的な合併症が症状のかけ離れた糖尿病であることも謎とされてきましたが、Syt7はシナプスのみならず分泌一般で働くと予想されるため、分泌抑制不全によって血糖値制御に関わる何らかのホルモンの過剰分泌が起きていると推測すると統一的に理解できます。さらに、Syt7の関与が報告されているがんの作用機序の理解、ひいては創薬などによる治療にも、本研究での知見が役立つと期待されます。



 



今後の展望



 即時性シナプス増強はプレ側(シナプスで信号を送る側)の変化ですが、即時記憶から長期記憶への変換のためにはポスト側(シナプスで信号を受け取る側)の活動がこれに結びつくと予測されるため、ショウジョウバエの自在な遺伝学的操作を活用してポスト側の活動の寄与について更に研究を進めることで、当グループから提唱された記憶の一般仮説、“局所フィードバック仮説(Science, 2005)”を検証し、それによって、記憶の仕組みが解き明かされることが期待されます。



 



論文情報



著者: Akira Sakurai, Takaaki Fujii and Motojiro Yoshihara



論文名: Calcium sensing by C2A domain of Synaptotagmin 7 is required through the linker for both synaptic facilitation and memory



掲載誌: Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (米国科学アカデミー紀要)



DOI: 10.1073/pnas.2528214123



URL: https://doi.org/10.1073/pnas.2528214123



 



関連する過去のプレスリリース



・2021年3月1日 脳の短期記憶のスイッチメカニズムを発見



 https://www.nict.go.jp/press/2021/03/01-2.html



・2021年8月5日 パブロフ条件反射の正体を発見



 https://www.nict.go.jp/press/2021/08/05-1.html



 



 なお、本研究の一部は、文部科学省科学研究費補助金基盤研究A「“記憶の局所フィードバック仮説”ーその中枢単一同定ニューロンでの検証」(研究者: 吉原基二郎;JP19H00998)、文部科学省科学研究費補助金基盤研究A「“記憶の局所フィードバック仮説” - 単一細胞上での短・長期記憶の追跡による検証」(研究者: 吉原基二郎;22H00420)、文部科学省科学研究費補助金基盤研究A 「“記憶の局所フィードバック仮説”-シナプス新生の記憶時リアルタイム追跡による検証」(研究者: 吉原基二郎;25H00996)、文部科学省科学研究費補助金若手研究(研究者: 櫻井晃;JP19K16275)、文部科学省科学研究費補助金基盤研究C「コマンドニューロンの可塑的変化による連合学習機構-その分子基盤のリアルタイム解析(研究者: 櫻井晃;22K06439)、学術変革領域研究(A)、動的コネクトームに基づく脳機能創発機構の解明、「連合学習による記憶の生成と消失を創発する司令ニューロンシナプスの動態解析(研究者: 櫻井晃;25H02530)の助成を受けて行われました。



 



情報提供元: PRワイヤー
記事名:「 “今この瞬間”を記憶する仕組みを発見