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ポリメラーゼε(イプシロン)はゲノムDNAを正確に複製する細胞にとって必須の酵素である。この酵素自身が「間違ったDNA複製を校正」することにより、ゲノム複製の正確性が保たれている。このポリメラーゼεの校正活性*1に関連した変異は多くのがん細胞で見られることから、ゲノムの不安定化や細胞がん化に関連すると考えられているが、その機能の多くは不明のままであった。今回、東京都立大学大学院理学研究科化学専攻の廣田耕志教授らの研究グループは、このポリメラーゼεの校正活性*1が「DNA損傷部位で安全に複製を停止させてDNAの切断を防ぐ」働きをしていることを世界で初めて明らかにした。この発見は、新たなメカニズムに基づいた抗がん剤開発などへの応用研究に結びつくことが期待される。
2.発見の背景
DNAは細胞内で代謝反応物などの影響で毎日多数のDNA損傷を受けている。DNA損傷の中でも、特にDNA二重螺旋のうちの一方の鎖が切れてしまう損傷(1本鎖切断)は最も頻繁に見られるものである。1本鎖切断損傷をもった鋳型鎖を複製すると、より重篤なDNA損傷として知られている二重鎖切断(DNA二重螺旋が両方とも切断した損傷)に発展する(図1 ①)。抗がん剤として使用されているカンプトテシンは、複製中に大量の1本鎖切断損傷を誘導する。がん細胞が通常細胞よりも頻繁に細胞分裂し活発に複製をしているため、がん細胞において複製に伴い二重鎖切断が大量発生し、がん細胞死を誘導できることがその治療原理となっている。
また、細胞には、こういった複製中に1本鎖切断から発生する二重鎖切断を修復する機構が備わっている。一つは、相同組換え修復と呼ばれる機構であり、二重鎖切断を正確に修復することができる(図1 ②)。BRCA遺伝子変異をもった家族性乳がんなどのがん細胞ではこの修復活性が大幅に下がっていることが知られている。二つ目の機構は、フォークリバーサルと呼ばれる機構であり、複製反応を安全に停止させて発生した二重鎖切断をより修復が容易な1本鎖切断にもどして修復する機構であるが、この反応がどのような分子機構で進むのかほとんど解明されていなかった(図1 ③)。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202311072418-O3-cv1M55n8】 図1
これまでに、カンプトテシンをはじめとする1本鎖切断を大量発生させてがん細胞を殺傷する抗がん剤が開発されている。一方、フォークリバーサル機構を標的とした分子標的型の治療薬品の開発はされてこなかった。それは、この分子機構が未解明であったからである。
廣田耕志教授(東京都立大学理学研究科)の研究室では、DNAのキズを修復するメカニズムについて、国際的な共同研究を行っている。廣田耕志教授は、武田俊一教授(深圳大学)と共同で、アーマド タスニム氏(東京都立大学理学研究科博士後期課程3年)、川澄遼太郎特任助教(東京都立大学理学研究科)、谷口友哉氏(同博士前期課程2年)とともに、ポリメラーゼεの校正活性がフォークリバーサル機構において必須の役割を果たすことを発見した。
3.発見の詳細
今回、廣田耕志教授の研究チームは、カンプトテシンにより発生する1本鎖切断損傷に対するポリメラーゼεの校正活性の動きについて詳細に解析を行った。ゲノム編集技術でポリメラーゼε遺伝子を変異させ、その校正活性のみを欠損させた細胞は、カンプトテシンに対し大きく細胞生存率の低下を示した(図2 ポリメラーゼε変異細胞)。フォークリバーサル機構において唯一機能することが知られているPARP*2と呼ばれる因子を欠損させた細胞は、同様にカンプトテシンに対し大きく細胞生存率の低下を示した(図2 PARP変異細胞)。興味深いことに、PARP欠損細胞においてポリメラーゼεの校正活性を欠損させても、細胞生存率の低下は起こらなかった(図2 二重変異細胞)。この発見は、ポリメラーゼεの校正活性がPARPと協同してフォークリバーサル機構に寄与し、安全な複製停止を介して染色体の断裂を防いでいることを示している。
ポリメラーゼε校正活性変異とPARP変異の関係性
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202311072418-O4-9scx8H76】 図2
さらに、DNA複製の速度を測定すると、ポリメラーゼεの校正活性を欠損した細胞ではPARP欠損細胞と同様にカンプトテシン処理後の複製停止が不良となっていることがわかった。また、ポリメラーゼεの校正活性をBRCA遺伝子変異細胞において欠損させると、細胞生存率がシナジスティックに低下することが判明した(図3)。
ポリメラーゼε校正活性変異とBRCA遺伝子変異の関係性
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202311072418-O5-6Iy7iW9S】 図3
これらの結果から、複製の最前線でポリメラーゼεが1本鎖切断に遭遇した際に、その場で安全な複製反応の停止を誘導するという新機構が示されるとともに、この機構がBRCA遺伝子変異をもった家族性乳がんなどの治療の標的となりうることが示唆された。今後の医療展開に向け、実際の医療現場で使用されているカンプトテシンや1本鎖切断損傷誘導性のがん治療薬品とポリメラーゼε遺伝子の関係や、それらとのシナジー効果についてさらに解決すべき課題が残っている。
4.意義と波及効果
今回の研究では、1本鎖切断損傷に複製装置が遭遇した際に、「ポリメラーゼεの校正活性がその場で安全な複製反応の停止を誘導する」という、ユニークな分子機構を解明した。この機構はフォークリバーサルと呼ばれる機構であるが、これまでほとんど分子機構は不明のままであった。また、本研究では、ポリメラーゼεの校正活性が、BRCA遺伝子変異をもった細胞の生存において、クリティカルな効果をもつことを示している。この研究成果は、治療効果の予測や新規の抗がん剤開発などへの応用研究に結びつくことが期待されている。
最初に、新規のがん治療への波及効果について解説する。ポリメラーゼε遺伝子の校正活性に関わる領域の変異は大腸がんをはじめとする多くのがん細胞で見つけられている。このようながん細胞では、1本鎖切断損傷におけるフォークリバーサル機構が不良となっていることが予想される。ポリメラーゼε遺伝子のがん細胞での変異について治療前に診断し、ポリメラーゼε遺伝子変異の細胞にもBRCA遺伝子変異陽性乳がんの治療にすでに用いられている様々な1本鎖切断損傷誘導薬品が有効であると推定できる。さらなる研究で、このようなポリメラーゼε遺伝子の変異状況に基づいた治療に繋げられることが期待される。さらに、ポリメラーゼε遺伝子変異とBRCA遺伝子変異のシナジー効果について今後さらに検討を進め、新しい治療に結びつくことが期待される。
次に、新規の抗がん剤開発への展開について解説する。上記のように、ポリメラーゼεの校正活性機能低下は大幅なカンプトテシンに対する増感作用が見込まれる。ポリメラーゼεの校正活性をターゲットとした薬品が開発できれば、既存の抗がん治療薬品を大幅に増感でき、BRCA遺伝子がん以外の広範ながんの治療への応用も見込まれる。
最後にポリメラーゼεの校正活性は、治療前に抗がん剤治療の治療効果を予測するバイオマーカーとして利用し得る。
以上のように今後、本研究成果が新しい医療や医薬品開発などの応用に結びつけられることが期待される。
【用語解説】
*1 ポリメラーゼεの校正活性
ポリメラーゼεはゲノムDNAをコピーして細胞分裂前にDNAを2倍に増やす役割をもつ。これはDNA複製と呼ばれる反応である。この複製反応はとても正確であり、1000万回に一度しかコピーのエラーを引き起こさない。それは、この酵素の持つ校正活性による、コピーのエラーによって誤挿入されたDNAのパーツの切り取りによって成し遂げられている。この間違ったパーツの切り取りにより、コピーのやり直しが可能となり、正確性が大幅に高められているのである。
*2 PARP
PARPはDNA修復におけるシグナル因子の1つであり、最も頻繁に発生するDNA損傷である1本鎖切断損傷を見つけてシグナルを伝え修復因子を呼び寄せる役割をもつ。この因子が、カンプトテシンにより発生する1本鎖切断損傷でのフォークリバーサル機構に関わることが知られているが、その分子機構は不明のままであった。
【論文情報】
タイトル: The proofreading exonuclease of leading-strand DNA polymerase epsilon prevents replication fork collapse at broken template strands
著者: Tasnim Ahmad, Ryotaro Kawasumi, Tomoya Taniguchi, Takuya Abe, Kazuhiro Terada, Masataka Tsuda, Naoto Shimizu, Toshiki Tsurimoto, Shunichi Takeda, and Kouji Hirota
DOI:10.1093/nar/gkad999
11月8日付けのNucleic Acids Researchオンライン版で発表