2017年3月21日



KINCHO(大日本除虫菊株式会社)



当社保有の【日本における殺虫剤産業の発祥を示す資料】が化学遺産に認定



大日本除虫菊株式会社(本社:大阪市西区、社長:上山直英)が保有する、【日本における殺虫剤産業の発祥を示す資料】がこの度、公益社団法人日本化学会により化学遺産として認定されました。

「化学遺産」とは、公益社団法人日本化学会化学遺産委員会が、日本の化学分野の歴史資料の中でも特に貴重な資料を遺産として認定したもので、これらの資料を次世代に受け継いでいくと共に、化学分野の技術と教育の向上・発展に寄与する事を目的としています。



<認定内容詳細>

■認定化学遺産第041号

■認定対象

 【日本における殺虫剤産業の発祥を示す資料-世界初の蚊取り線香を含む除虫菊ゆかりの資料-】

■内容

(1)除虫菊栽培書

上山商店(現大日本除蟲菊(株)の前身)の設立者である上山英一郎(うえやまえいいちろう)が、除虫菊の栽培を広く奨励するために著した日本では最古の手引書で、のちに日本の除虫菊生産量が世界一になるのに大きく貢献した。『除虫菊栽培書』は、書名タイトルがその後『日本の除虫菊』に変更となるも全部で24版まで刊行された。大日本除蟲菊(株)本社に保存されているのはそのうちの8版で、『除虫菊栽培書』として最古のものは1896(明治29)年版、一方『日本の除虫菊』としては1918(大正7)年版である。



(2)棒状蚊取り線香「金鳥香」

上山英一郎が日本古来の仏壇線香の製造技術を活かし、1890(明治23)年に開発した世界初の棒状蚊取り線香である。除虫菊粉に糊などを混ぜて成型したこの棒状線香は長さが20cm、燃焼時間がおよそ40分程度で、蚊を殺すには同時に2、3本使う必要があった。



(3)渦巻型蚊取り線香「金鳥の渦巻」

上記した棒状形状を渦巻型に改良したものが1895(明治28)年に誕生した。この渦巻型線香は燃焼が約6時間持続し、寝る前に線香をつければほぼ一晩中、蚊に刺されることなく安眠できるようになった。また、製造の際に2巻を同時に巻くダブルコイル方式も採用された。1930年代には、インドネシアやタイをはじめとする東南アジア各地、オーストラリア、ハワイ、メキシコ、ベネズエラなど、世界中に輸出された。その原型を現在に受け継ぎ、蚊取り線香は殺虫剤の主流として今なお世界各国で愛用されている。



(4)渦巻型蚊取り線香試作木型

1895(明治28)年に製作された蚊取り線香の試作用木型であるが、実生産の採用には至らなかった。



(5)機械式手巻き用線香押し出し機

うどん状に押出した棒状の線香を一定の長さで切り、手で渦巻き状に巻き上げて蚊取り線香を製造する装置で、床面から最上部まで2.5mほどの高さがあった。1910年頃(明治末期)から1957(昭和32)年頃まで使用されたが、本線香押出し機を用いる手巻き作業は、その後機械による打抜きへと改良された。現在は、写真のように横倒しで保存されている。



(6)エアゾール殺虫剤

大日本除蟲菊(株)は、精製した除虫菊エキスを用い、1952(昭和27)年に日本で初めてエアゾール殺虫剤を商品化した。写真には、その後デザインが変更された製品も紹介されている。



(7)ピレトリン類のアルコール部分の立体構造解明に関わる実験ノート

本実験ノートは、勝田純郎(大日本除蟲菊(株))による研究経過を記したもので、自筆で記述された実験内容は勝田純郎が1950(昭和25)年に京都大学化学研究所武居三吉研究室に出向した当時から、大日本除蟲菊(株)中央研究所での研究活動にまたがっている。勝田純郎は、1958(昭和33)年に、ピレトリン類の化学構造について当時未決定であったアルコール部分(シクロペンテノロン環)の不斉炭素C(4)の絶対配置を決定したが、一連の実験経過の記述は、その化学学術的成果はもとより、今日のような化学分析機器が発達していない当時の実験手法を如実に示す資料として価値が高いものである。



詳細は添付ファイルをご参照ください。









情報提供元: PRワイヤー
記事名:「 当社保有の【日本における殺虫剤産業の発祥を示す資料】が化学遺産に認定