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【奨学金利用を考えている人へ】奨学金を返し終えた銀行員が、徹底解説します
本来は、世の中に「正しい借金」も「正しくない借金」もありませんが、このような表現をしたのには理由があります。
最近気になっている風潮として「借金してまで進学しなくても」という声があります。
これは、奨学金を借りても返せなくなる人がいることについての意見です。
誰でも奨学金を借りて踏み倒そうとする人はいないでしょう。
しかし、不幸にもリストラや病気などのアクシデントで、返したくても奨学金が返済できない人がいるのも事実です。
それでも「借金して大学に入り、結局返済できない奴が悪い」と、奨学金の存在意義や奨学金を利用して進学する人を揶揄する表現があります。
私は大学進学のために、親と話し合い、自分でも納得して奨学金を借り、そして何とか返し終えました。
そんな自分の経験があるからこそ、こういった心無い声には、「奨学金はたしかに借金です。でも正しい借金なんです!」と反論します。
「借金」とは、お金を借りる表現のひとつですが、ほかにも「借入金」「融資」「負債」そして「ローン」「クレジット(借りるという意味で用いる場合がある)」といったように様々な呼び方があります。
銀行や法律用語では、貸したお金を「貸出金(貸付金)、債権」と表現し、いっぽう借りたお金を「借入金、債務」と区別しています。
「貸す」「借りる」という行為の違いを言葉で表しているわけですが、借金にはそれ以外のネガティブな要素が加わってきます。
銀行では、事業資金や住宅ローンは「借入」、そしてギャンブルや遊興費など、自分が享楽を手に入れる目的でお金を借りることを「借金、借財」と区別しています。
事業を運営するための運転資金や設備資金も、自前で調達できなければ銀行から融資を受け、売上から返済していくのが経済活動の基本です。
また個人が一生に一度(あるいは何度か)の大きな買い物として自宅を手に入れる住宅ローンを利用することを咎める人はいないでしょう。
「利用する」と表現しましたが、必要なお金を融資により手に入れることを、私は「借りる」ではなく「融資を利用する」と考えています。
住宅ローンやマイカーローンを「借金」と表現することに違和感はありますか。
カードローンやキャッシングはどうでしょう。
そうした表現から奨学金で大学に通うことのできた私は「奨学金を借金と言わないで欲しい」と強く感じています。
家庭の事情もいろいろあり、全ての人が子供の教育費をまかなえるわけではありません。
お金が足りなくても奨学金を利用するのは、簡単なことではありません。
「親として情けない」と感じても致し方ないことです。
私の両親は田舎で小さな商売を営んで、残念ながら蓄えがなく奨学金を使わなければ大学進学は不可能でした。
裕福な友人を見ると「なんで自分だけ、奨学金を使わないと大学に行けないんだ?」と親を恨んだものです。
そんな私の気持ちを察してか、「すまない、すまない」と言うばかりの両親にあたりちらすこともありました。
自分の家にお金がない事実を突きつけられ、口惜しさと情けなさと恥ずかしさの交じり合った気持ちを抱えていたことを、今でも思い出します。
受験の結果は、なんとか東京六大学の一つに合格することができましたが、奨学金を使わなければならない事実を思うと複雑な心境でもありました。
しかしそんなある日、母親とお客さんの会話を聞き、そうした考えが変わりました。
仕事ひとすじで「東京大学より日本大学のほうがすごいんでしょ?東京より日本のほうが大きいから」というような両親でしたので、私が合格した大学のことも良く知らなかったようです。
それでもいろいろ調べて、息子がそれなりの大学に合格できたことを喜んでくれました。
そしてお客さんに私が受験生だということや、大学に合格したことを聞かれてもいないのに吹聴し、無邪気に喜ぶ姿を見たとき、それまでの自分が間違っていたと気づきました。
お金がなくて、奨学金を使わないと大学に行けないのではなく 奨学金を使えば大学に行ける道を両親が切り拓いてくれたんだ!
わたしはそれ以来、両親に感謝こそすれ、恨むようなことはなくなりました。
小さな子供が他人の持ちものを欲しがった時に、親がよく使う表現に「うちはうち、よそ(のおうち)はよそ」という言葉があります。
両親への恨みが感謝に変わったとき私には自然と、この言葉が浮かんできました。
この言葉には、自分の不遇をごまかすのではなく、事実の受け取り方や考え方次第で、自分が不幸だとも、恵まれているとも考えられる意味があると思います。
奨学金を使わないと子供を進学させられないのは親としてつらいかも知れません。
しかし子供の進学で奨学金利用を考えているなら、必要以上に「子供にすまない」と思い込まなくても良いのではないでしょうか?
なぜなら、そのとき子供の立場だった私は、一時的に恨んだことはあっても、そのあと親に感謝する気持ちに変わりましたし、今も想いは変わりません。
両親は、奨学金を利用させ、借金を背負わせるのではありません。
頑張っても足りない部分を奨学金が補ってくます。
そして奨学金を利用し、返していくことでお金の大事さ、お金の怖さもきっと学べます。
これが私の経験から「奨学金を申請する親へ」「奨学金で進学する子へ」伝えられる言葉です。
奨学金が払えないといった話題では、奨学金自体が悪であるかのような意見もあります。
もちろん奨学金も借りているお金ですから、当然返していかなければいけません。
だからといって、奨学金を利用して進学している子供や親御さんを非難するのは違うと思います。
経済的に不自由がなく、奨学金を使わなくても進学できればそれに越したことはなく、だからといってそれが特別なことではありません。
奨学金を利用しなければ進学できない人が奨学金を利用することも、特別なことでも悪いことでも、そして恥ずべきことでもありません。
奨学金を利用できたからこそ大学に進学できて、就職もできて、家族もできて、今の私があるのも奨学金と、もちろん両親が私の人生を支えてくれたからです。
私は過去、住宅ローンに関して偏った記事や心無い声に異論、反論を唱えてきました。
一部のネット記事や口コミなどで、奨学金を否定したりネガティブな意見を述べられたりしているものを見ると、
「奨学金を使うのはいけないことなのかな?」
「奨学金を借りないと子供を進学させることができないのは親として情けない」
このように悩んでしまう人がいるかも知れません。
反発を覚悟で言わせてもらいますが、奨学金を使わないで進学できた人が奨学金を否定するのは間違っていると考えます。
「奨学金を利用しなければ進学できないなら進学するな」と思うなら、自身がそうすればいいだけです。他人に押し付ける必要はありません。
「奨学金のおかげで今がある」と考えている私は強く思います。(執筆者:銀行員一筋30年 加藤 隆二)
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