隣の芝生は青い。自分とは違う世界を生きている人、自分とは違う日常を過ごしている人を見ると、いいなぁ、羨ましいなと思わずにはいられない。

そのうえ、人がよく考えてしまうのは「もしも~していたら」という「もしも」連想。もしも自分があの時こうしていなかったら、もしもあの時別の道を選んでいたら、自分は今何をしていただろう。考え始めたらきりがない。あの時こうしていたら良かったのに…などと考えることは、つまり、“今ここにいる自分”を肯定できないということであって、「隣の芝生は青い」と似ていると思う。

“今ここにいる自分”を肯定できないあなた、大丈夫、ここにもたくさん仲間がいる。小説『はれのち、ブーケ』に登場する男女たちもみんな同じだ。

本書は、大学時代を同じゼミで過ごした6人の男女の連作短編集である。30歳になった彼らは、裕人と理香子の結婚式に集合する。30歳にもなれば境遇はそれぞれ違う。結婚した人もいれば、既に子を持ちパパになっている人もいれば、未婚のキャリアウーマンでバリバリ働いている人もいる。それぞれが各々との再会により、仲間の生き方に自分の境遇を照らし合わせ、未来を見つめる物語となっている。

社会人1~3年目くらいだったら、未婚で働いている人が多く、学生時代の友達と再会しても、そこまで境遇は変わらないだろう。しかし、30歳となると大きく変わってくる。そこで登場するのが「隣の芝生は青い」である。

子が生まれて仕事を辞めた人は、夫婦仲も良くて子供も可愛くて幸せなはずなのに、キャリアウーマンの友達を見て「あの時仕事を続けていたらどうしていただろう」などと考え、反対に仕事をしている独身女性は、好きな仕事ができて自分で選んだ道であるはずなのに、家庭を持つ幸せそうな友達を見て「あの時彼と別れなかったら結婚していたかな」なんて考えてしまうのだ。

でも、羨ましく思えた相手にも、実は苦労や悩みがあったりする。私たちはそれを知らずに表面的に見える幸せな部分だけをすくいとって、ああだこうだ言っているだけかもしれない。それは本書を読めばきっとわかるだろう。

大学生のゼミ仲間という設定もリアルで好きだ。20歳前後の多感な時期をともに過ごした友達はきっと一生物で、結婚するまでもその先も、ずっと関係が続いていく仲間なのだろうと思う。30歳になると約10年も一緒ということか…それはとても素敵なこと。私も学生時代の友達の将来を楽しみにしていて、本書を読んで自分と仲間の将来の姿を見ているような心地がした。

「自分の芝生もあおいんやで。よく見たら、ほんとは自分の芝生のほうがもっとあおいかもしれへん」「ふうん。じゃあ、よく見ないとだめだね」「そう。よおく見なあかん」
(本書323ページより引用)

本書のなかで特に印象に残っている言葉だ。隣の芝生は青く見えてしまうけれど、客観的に見たら自分の芝生も青いかもよ?思ったより自分幸せじゃない?章太郎の言葉はそんなことに気づかせてくれる。

章太郎が教えてくれたように、私も今度、隣の芝生が青く見えたら、自分の芝生もちゃんと見てみようと思う。

(フィスコ 情報配信部 編集 細川 姫花)

『はれのち、ブーケ』(実業之日本社文庫)  瀧羽麻子 著 本体価格600円+税 実業之日本社




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情報提供元: FISCO
記事名:「 隣の芝生は青い、でも自分の芝生もきっと青い【Book】