古より、芸術の世界には2つの美学による対立が行われてきた。
「一瞬の美」と「永遠の美」だ。一度は耳にしたことないだろうか。

どちらが、より優れているかなんてそんなもの論じるだけ無駄だと思うのだが、悲しいかな、人間の性というものは、なにかと白黒・優劣つけたがる。
とはいえ、こればっかりは決着のつく日なんて永遠に来ないだろう。
芸術って結局、個人個人の好みだから。

と言いつつ、どちらにも共通する点はあると思う。
それは、どちらも未だ人類が完全には到達しえない“生と死”を連想させるものであるという点だ。
短い瞬間を駆け抜ける「命の儚さ」だとか、
古代より人間が執着し続けた「永遠の命」であるとか、
どちらの美にも、カタチは違えど、そういった手の届かない、憧れの対象のようなものが必ず内包されているように感じるのだ。

筆者はこれを(勝手に)「滅びの美学」と呼んでいる。

この美学は日本の伝統芸能においても、至る所に散りばめられていたりする。
たとえば近松門左衛門/作でお馴染みの「曽根崎心中」。
これは、醤油屋の徳兵衛と遊女のお初が大阪の曽根崎にある天神の森で心中するという実際の事件を、人形浄瑠璃の題材にして上演したものである。
徳兵衛25歳、お初は19歳という若い男女ふたりのショッキングな事件は当時の世間を騒がせ、そして魅了した———

「心中」なんて如何にも滅びの美学っぽい。
この悲劇ともいえる事件に目を付け、浄瑠璃という芸術にまで昇華した門左衛門には心より敬意を表したい。
「不謹慎だ」と言われても致し方なかっただろうに。(現代であったら実際の事件をタイムリーで流す、だなんておそらく放送ないしは、上演中止であったろう・・・)
そこに門左衛門の芸術家魂が見えてくる気がする。

こうした下世話ともいえる(今でいう木曜劇場とか?)ストーリーを人形で紡いだ文楽は紛れもない日本の伝統文化である。

本書『文楽のすゝめ』は「曽根崎心中」に限らず、文楽を、文楽にかんするトピックを、さまざまな角度から切り込んだ、エンターテイメントに飛んだ1冊となっているので非常におススメだ。
それも小難しく解説しているようなものとは違い、本当に最近の流行やら人気と絡めた内容となっているのでかなりとっつきやすい。
当時の太夫(歌舞伎や浄瑠璃などの芸者)たちが通っていた名店や、江戸時代のうどん一杯の値段などの江戸の常識的な小ネタも満載。
たぶんこの本を手に取った人の心をくすぐるポイントはあらかた押さえているんじゃないかな?

タイトルの通り、まさに「文楽って気になるけど、私には難しいカモ・・・」と興味を持った方への指南書になってくれること間違いナシである。

ちなみにこちら、『舟を編む』などで有名な作家・三浦しをんさんの特別寄稿「なぜダメ男は愛されるのか」が収録されており、これだけでも読む価値が!
今も昔もダメ男の特徴は変わらないのね。。。

人形劇といえば、筆者が最近新たに足を踏み入れた世界がまさにそれだ。
台湾の民間芸能のひとつで「布袋劇」というのだが、この伝統芸能と日本の人気アニメ多数を手掛けてきた虚淵 玄氏が奇跡のコラボを果たした作品『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』が筆者の中で今、非常にアツい。
この作品こそ、まさに滅びの美学のパイオニア(であると筆者が勝手に考えている)、虚淵 玄による虚淵ワールド全開の作品で、最高に素晴らしいので興味を持った方はぜひ観てみてほしい。
語り出すと長くなりそうなので、今回は割愛させていただくが、この布袋劇はいずれ日本にビックウェーブをもたらすと睨んでいる。
(いつか機会があれば、「HOROBI NO BIGAKU」第2弾でお会いしよう)


それにしても、結末がどうであれ己の命を懸けられるほどの愛する人を見つけられたお初と徳兵衛は周りに何を思われようと、幸せ者であったのだろう。
これもまたひとつの愛のカタチなのかもしれない。

やれやれ、羨ましい限りである———

(実業之日本社 販売マーケティング本部 王 佳那)

『文楽のすゝめ』 竹本 織太夫 著 1500円+税 実業之日本社




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情報提供元: FISCO
記事名:「 HOROBI NO BIGAKU【Book】