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「兵は詭道(きどう)なり」という言葉は、孫子「計篇」に記載された戦いの極意である。「戦いとはしょせん騙しあいである」という事を短い言葉で的確に表している。相手を騙す、自らの行動を秘匿するという事に加え、相手の予想を超える行動をとることも「詭道」に該当するであろう。
今回のロシアのウクライナ軍事侵攻に関しては、情報戦の一環として多くの「詭道」を確認することができる。最も大きな「詭道」はプーチン大統領のクリミア軍事侵攻のロジックである。ウクライナ軍事侵攻を「特別軍事行動」と位置付けている。
3月10日にラブロフ外相がトルコにおける外相会談後の記者会見で述べた「ロシアはウクライナを攻撃していない」という衝撃的な言葉は、ロシア国内を意識するとともに、この文脈から語られていると推定できる。注意しなければならないことは、「ウクライナを攻撃していない」という言葉は単なるレトリックではないことである。
● ウクライナの民主主義は「無かった」ことに…
2月24日、ウクライナ侵攻の直前にロシア国営テレビは、プーチン大統領の国民向け演説を放送している。演説の全文を確認すると、プーチン大統領の状況認識は西側と大きく乖離していることが分かる。
1980年代のソ連崩壊に伴いロシアは弱体化し、これに乗じてNATOは旧ソ連諸国を域内に取り込み、ついにはウクライナまで手を伸ばしてきた。これはロシアの安全保障上重大な脅威である、というのがプーチン大統領のロジックである。
そして、イラク戦争を例にアメリカを「嘘の帝国」と断じ、ウクライナにおいてアメリカを中心としたNATO軍の活動、特にドンバス地域における活動を、これ以上見過ごすわけにはいかないと主張している。また、ドンバス地域で住民を迫害している勢力を「ヒトラーの片棒を担いだ民族主義者、ナチ勢力」と断じている。
このロジックに従えば、ロシアが攻撃しているのは「ヒトラーの片棒を担いだ民族主義者の一味としてのゼレンスキー政権」であり、ウクライナではないことになる。この考え方には、ウクライナが主権国家であり、時の政権を選ぶのはウクライナの国民である、という民主主義の根幹は、その片鱗もうかがえない。ウクライナをロシアの勢力圏と見なす独善的な考えに満ち溢れている。プーチンの考え方は、西側諸国にとって「偽旗作戦」そのものであるが、プーチン及びプーチンを支持する勢力にとって、それはすでに「偽旗」ではなく、事実なのである。
● 「偽旗作戦」に中国も加担
3月18日付の中国の解放軍報は「ウクライナ緊張の発端はアメリカにある」と、プーチンの主張を全面的に支持する論考を掲載している。「偽旗」は多くの人が真実と信じることによって「本物の旗」となる。中国はそれに加担しようとしている。
同様の活動が国連を舞台に繰り広げられている。3月11日に国連安全保障理事会緊急会合の開催を要求したロシア大使は、「ウクライナで米国などが生物兵器を開発している」と主張した。アメリカ大使は「無責任な陰謀論」と一蹴し、他の安保理理事国等の賛同も得られていない。
しかしながら、中国外務省報道官は3月14日の記者会見において、「ウクライナにおける生物兵器の軍事利用は国際社会における懸念となっており、これにアメリカが関与しているという情報はすでに明らかになっている。もしこれが偽情報というのであれば、アメリカは証拠を示すべきである。」と述べている。
無いことを証明することは、「悪魔の証明」と呼ばれており、極めて困難である。ロシアの「偽旗」作戦に中国が加担していることを明白に示している。
● アメリカの「秘密情報の積極的開示」という作戦
ロシアの「偽旗」作戦に対し、アメリカが行っている情報戦は「秘密情報の積極的開示」である。
ロシアのウクライナ侵攻に先立つ2月18日、バイデン大統領はホワイトハウスにおける演説で、プーチン大統領はウクライナ侵攻を決断したと述べ、侵攻開始は来週かそれ以前、首都キエフが攻撃目標になるとも述べている。ロシア軍の空爆が始まったのは2月24日であり、きわめて正確に事態を見積もっていたことが分かる。
このような情報は、必要な者だけで共有される「need to know」が原則である。これを公開することは、情報入手源を危険にさらし、以後の情報取得に支障をきたす。あえて秘密の情報を公開したのは、相手の機先を制し、行動を抑止する効果を狙ったものであろう。演説の際、バイデン大統領が、外交の余地は残されていると付け加えたことは、ロシアへの抑止効果を期待したものであろう。しかしながら、この期待は外れた。
アメリカはこれに懲りず、再度「積極情報開示」を行った。3月14日複数の欧米系メディアはロシア政府が中国に軍事、経済支援を要請し、中国はこれを受け入れる用意があると伝えた。同日、アメリカのサリバン大統領補佐官は、ローマで中国楊ケツチ中国共産党中央政治局員と会談を行い、アメリカ側の懸念を直接かつ明確に伝えたと報道されている。このことも情報を積極的に開示することにより、中国に圧力を加えようという情報戦の一環と考えられる。これに対し中国外交部は、アメリカが偽情報をまき散らしていると批判している。
アメリカが行っている情報戦は、今までの情報戦と異なるアプローチである。プーチンのウクライナ侵攻を止めることはできなかったが、中国のロシア軍事支援を止めることができるかどうかがこの情報戦の効果を検証するものとなるであろう。
● 日本は、情報戦を学ぶ必要がある
情報は使い方を誤ると甚大な被害が生じる。第2次世界大戦時に情報を軽視したことが日本軍の失敗の一つに挙げられている。当時ストックホルム駐在武官の小野寺大佐は「ソ連の対日参戦」の情報をいち早くつかみ、大本営に報告したものの、全く顧みられなかったことはよく知られている。
また、ロシアのウクライナ軍事侵攻が、プーチンの思惑どおりに進んでいないのは、ウクライナに関する事前情報が誤っていたためとの分析がなされている。ロシアの「偽旗」作戦、アメリカの情報の積極開示というそれぞれの情報戦の評価は歴史に委ねられるだろう。
一般的に、欺瞞作戦は民主主義国家よりも、世論誘導が容易な権威主義国家の方が行いやすい。中国、北朝鮮という権威主義国家に囲まれる日本は情報戦の実態についてより関心を持ってみていく必要がある。
サンタフェ総研上席研究員 末次 富美雄
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社において技術アドバイザーとして勤務。2021年から現職。
写真:代表撮影/AP/アフロ
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