日本にとっては、開国を強要したペリーの黒船がそれにあたるであろう。また、1907年12月から1909年2月にかけて、米大西洋艦隊は、セオドア・ルーズベルト大統領の指示を受けて、新造戦艦16隻を基幹とする艦隊(Great White Fleet)の世界一周巡航を実施している。日露戦争後、存在感を増しつつある日本への警戒感が米国で高まっていた。しかしながら、当時アメリカの艦隊は大西洋に集中しており、太平洋における兵力が不足していた。Great White Fleetの世界一周は、米国の太平洋への海軍兵力展開能力を誇示することによる日本への牽制があったと見られている。
日本海軍は、戦艦等16隻を派遣、横浜において接遇を実施するとともに、艦隊を率いる士官を招き、連日園遊会等を実施している。アメリカは、日露戦争直後には日本を仮想敵国とするオレンジプランの策定を開始したとされており、日本も1907年の帝国国防方針でアメリカを仮想敵国としている。Great White Fleetの日本訪問は、友好親善の仮面の下で、日米の心理戦が繰り広げられたと言える。このような艦隊の役割も砲艦外交として認識されるであろう。