2021年8月11日付の中国人民網日本語版は、駐リトアニア大使の召還に係る中国外交部の談話を掲載している。その内容は、中国が再三にわたり利害を説いたにもかかわらず、リトアニア政府が、「台湾」の名称で台湾当局の代表処を設置することを認めたことを強く非難し、駐リトアニア大使を召還するとともに、リトアニア政府に駐中国リトアニア大使の召還を要求した、というものである。また、中国環球時報の英語版であるGlobal Times紙も同日付で、「中国とロシアはリトアニアを罰するために協力することができる」という社説を掲載している。社説は、リトアニアを台湾とは何も関係のない国であり、アメリカに迎合するために、台湾問題がいかにセンシティブか分からずに行動しているとし、リトアニアと国境を接するロシア(カリニングラード州)及びベラルーシと協力してリトアニアを罰する必要があると主張するものである。

日本は、台湾と正式な国交はないものの、「公益財団法人日本台湾交流協会」を設立し、その事務所を台北に、台湾は「台北駐日経済文化代表処」を東京に置いている。アメリカも「台北経済文化代表処」を国内に設置している。今回中国が強烈な不満を示したのは、新たに代表処を設置したことに加え、名前に「台湾」という言葉を使用したことにある。Global Times紙の社説は、「サラミスライシング」という古い手を使って徐々に中国に圧力を加えている日米でさえ、「台湾」という言葉を使う時は慎重だと指摘している。

台湾が国際的地位を向上させるために、代表処の設置を進めることは理解できる。しかしながら、なぜ中国がここまで反発するのか、そしてリトアニアが何を考えて今回の決断を行ったのかについて考えてみたい。

中国は、台湾の国際的存在感を低下させることを目的として、主として経済を梃に台湾と国交のある国の切り崩しを図っている。2016年5月に蔡英文総統が就任して以来、7か国(サントメ・プリンシペ、パナマ、ドミニカ共和国、ブルキナファソ、エルサルバドル、ソロモン諸島及びキリバス)が台湾と断交、中国と国交を結んでいる。現在台湾と外交関係のある国は15か国である。しかしながら、最近、経済を梃とする中国の影響力拡大は、「新植民地主義」、「債務の罠」との批判が高まっている。更には、新疆ウィグル族の人権問題に関連して中国とEUが対立、2020年12月にEUと中国で合意された「包括的投資協定」の批准に向けた欧州議会での討議は停止している。

このような状況下で、EUの一員でもあるリトアニアの台湾との関係強化が「包括的投資協定」批准の阻害要因となりかねないことを危惧し、リトアニアの動きが他のEU諸国に広がらないように強い態度に出ていると推定できる。

さらに、Global Times紙がリトアニアを人口わずか300万人の国としながら、ロシアに共同対処を呼びかけている点が注目される。同紙は中国共産党機関紙である人民日報が運営する報道紙であり、その主張は中国共産党の考え方を色濃く反映する。リトアニアに対して政治的、経済的、軍事的影響力の行使が難しい中国にとって、ロシアやベラルーシの力を借りざるを得ないという手詰まり感を感じさせる。更に、近年緊密化が進む中露関係であるが、ロシアとリトアニアは長い国境線を接する上、武力衝突の歴史を持つことから、両国には相互不信があることは間違いない。この記事に対し、ロシアがどのような反応を示すかによって、ロシアの本音を見極め、以後の中露交渉につなげていくという狙いもあると考えられる。

リトアニアは2012年に開始された「中・東欧サミット」、いわゆる「17+1」の参加国であった。同サミットは、EU加盟国のポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、クロアチア、スロベニア、リトアニア、ラトビア、エストニアの11か国とEU非加盟国のセルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、北マケドニア、アルバニア、モンテネグロの5か国の合計16か国でスタートし、2019年にギリシアが加わり17か国となった。中国が一帯一路の一環として、これら諸国との貿易、投資を増大させることが期待されていた。しかしながら、今年5月にリトアニアは、「期待していたほどの経済的メリットを得られない」として、「17+1」の枠組みからの離脱を明らかにした。台湾代表処の設置は、これに引き続くものであり、単純に、台湾からの経済メリットのほうが中国より大きいと判断したかのように見えるがそうではない。


リトアニア国防省は、今後10年間を対象とする「脅威評価2019」という文書を公表している。旧ソビエト連邦の共和国として、長年独立運動を実施していた歴史から、脅威評価のほとんどはロシアで占められている。しかしながら、脅威として名指しされていた国は、ロシアの他は中国のみである。ロシアの脅威が政治、経済、軍事と幅広く述べられているのに対し、中国からの脅威は、情報活動の拡大であった。香港や台湾に対する中国の主張を正当化する勢力の拡大を図っており、今後このような活動がリトアニアを含むEU諸国で広がってくるであろうという評価である。

「17+1」が経済的繁栄を目指すものではなく、中国の影響力拡大に使われているというのがリトアニアの見方である。今年5月リトアニア議会は中国のウィグル人に対する扱いを「ジェノサイド」として、国連の調査を要求する決議を行っている。リトアニアも1990年の独立に際し、ソ連軍により市民が虐殺されるという事件が起こっており、共産党に対する嫌悪感も相まって、反中国に傾いたという事ができる。

リトアニアが今回台湾の代表処設置を認め、更には「台湾」という名称の使用を許可したことは、国家として強い意志の表れと見ることができる。太平洋諸島国家の中には、支援額が中国のほうが多かったという理由で、台湾と断交し、中国と国交を結んだと伝えられる国家もある。「17+1」からの離脱は経済的メリットが少ないからと説明されているが、今後中国が経済を梃に関係修復を図ったとしても、中国への不信感が根底にある以上、リトアニアの今回の決定を覆す可能性は低い。ましてロシアと協力してリトアニアを罰するというような方法は、リトアニアの態度を硬化させるだけであろう。

リトアニアは帝政ロシア、その後継であるソ連、そしてナチスドイツに国土を蹂躙され、国家の名前すら失った時期がある。しかしながら、粘り強く独立運動を継続し、1990年に旧ソ連邦共和国の中で最初の独立国となっている。今回のリトアニアの決断には、中国から直接軍事的脅威を受けていないことが大きく影響していることは間違いないだろう。しかしながら、中国の強圧的な姿勢に対し、毅然と対処することこそが、国際社会の注目と共感を呼び、そしてその共感が、ロシアという大国から直接脅威を受けている小国リトアニアの安全保障を担保するとの考えがあると考えられる。

リトアニアはNATOの一員であり、実質的な安全保障はNATOが担保する。NATOの対ロシア戦略の一環として、2019年以降、NATO軍1個大隊(兵士約500人)が、リトアニアにローテーション配備されている。国際社会からの共感とNATOによる兵力配備がリトアニアの安全保障の根幹となっている。

中国は大使の召還を行ったが、リトアニアとの断交までには至っていない。今後中国がどのように振り上げたこぶしを下すのか注目される。

サンタフェ総研上席研究員 末次 富美雄
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社において技術アドバイザーとして勤務。2021年から現職。

写真:ロイター/アフロ


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情報提供元: FISCO
記事名:「 小国の安全保障戦略−リトアニアの決断−【実業之日本フォーラム】