【実録】新選組が“最後に降伏”したのは「港の砲台」だった!?“函館の史跡”を「市電+徒歩」で半日めぐった実費は?「1日乗車券800円」で元が取れるのか、在住ライターが検証
市電の料金体系
史跡めぐりの出費は、市電の運賃の払い方で変わります。はじめに1日乗車券と普通運賃の料金を確認し、筆者が実際に使った交通費と比べてみましょう。
1日乗車券は800円、普通運賃は250円~300円
函館市によると、市電1日乗車券は大人800円、小児400円で、利用開始から当日の終電まで乗り放題です。普通運賃は令和7年12月1日に改定され、大人は全区間で一律40円値上げされました。改定後の料金を整理すると、図表1のとおりです。
図表1
| 種類 | 大人 | 小児 |
|---|---|---|
| 普通運賃 | 乗車距離に応じて 250円・270円・290円・300円 | 大人の半額 |
| 市電1日乗車券 | 800円 | 400円 |
| 市電24時間乗車券 (スマートフォンのみ) | 1130円 | 570円 |
函館市「お得な乗車券(函館市電)」「乗車料金(函館市電)」より筆者作成
1日乗車券を買う前に、当日の乗車回数を考えておくと安心です。乗車券の提示で割引を受けられる店もあるので、事前に調べておきましょう。
何回乗れば1日乗車券のほうが安くなるのか
800円を最も安い250円で割ると3.2となり、最安区間だけなら4回で元が取れます。270円以上の区間を3回乗ると合計810円となり、3回でも1日乗車券が得です。筆者が実際に乗った区間と運賃は図表2のとおりです。
図表2
| 乗車区間 | 普通運賃(大人) |
|---|---|
| 【函館駅前→函館どつく前】 | 270円 |
| 【函館どつく前→函館駅前】 | 270円 |
| 普通運賃の合計 | 540円 |
| 1日乗車券(800円)との差額 | 260円 |
函館市「乗車料金(函館市電)」、筆者の実体験より作成
弁天台場跡から3つの寺までは歩いて回れるので、筆者が市電に乗ったのは2回でした。乗車が2回程度で済むなら、1日乗車券より普通運賃で払ったほうが安くなります。
土方歳三ら約800人の霊を祀る碧血碑まで足を延ばす場合は、谷地頭電停までの移動が加わるため、乗車回数が4回になります。この回数なら、1日乗車券のほうがお得です。
実際に巡った新撰組ゆかりの地
函館どつく前電停の周辺には、箱館戦争ゆかりの史跡と寺が集まっています。ここでは、台場跡と3つの寺を徒歩でめぐり、最後にJR函館駅へ戻るルートを紹介します。訪問する順番は、図表3をご覧ください。
図表3
| 順 | スポット | 最寄り・移動手段 | ひとこと |
|---|---|---|---|
| 1 | 新選組最後の地碑 (入舟児童公園) | 函館どつく前電停からすぐ | 新選組が最後に降伏した弁天台場ゆかりの碑 |
| 2 | 弁天台場跡 (現・函館どつくの位置) | 碑から電車通りの反対側 | 跡地を示す標柱は撤去済み |
| 3 | 称名寺 | 函館どつく前電停から徒歩8分 | 新選組残党の屯所跡と土方らの供養碑 |
| 4 | 実行寺 | 徒歩1分 | 旧幕府軍の戦死者を埋葬した寺 |
| 5 | 高龍寺 | 徒歩2分 | 市内最古の寺と傷心惨目の碑 |
| 6 | 土方歳三最期の地碑 (若松緑地公園) | 函館どつく前電停からJR函館駅、 そこから徒歩10分 | 駅に近く、最後に回ると帰りがスムーズ |
筆者作成
おすすめポイントのかんたん解説
ルート上の見どころを3つ紹介します。
新選組の最後の地は五稜郭ではなく港の砲台
写真1
筆者撮影
1869(明治2)年の新政府軍による総攻撃の日、弁天台場では百余名の新選組隊士を含む約240名が守備に当たりました。その後の流れは次のとおりです。
・旧暦5月11日(新暦6月20日):総攻撃が始まる
・同日:市街や台場を救おうと出撃した土方歳三が狙撃され落命
・旧暦5月15日(新暦6月24日):孤立した弁天台場が降伏
・旧暦5月18日:榎本武揚らが降伏し、五稜郭が明け渡される
土方が救おうとした台場は、その死から4日後に降伏。五稜郭の明け渡しより3日早く、新選組の戦いは終わりました。
「新選組最後の地碑」は台場の跡地ではなく、電車通りをはさんだ公園内にあります。碑と跡地の現状は図表4のとおりです。
図表4
| 項目 | 新選組最後の地碑 | 弁天台場の跡地 |
|---|---|---|
| 場所 | 入舟児童公園内 (函館市入舟町6) | 電車通りの反対側(現在の函館どつくの位置) |
| 現状 | 2010年に建立された石碑 | 1896年の港湾改良工事で解体・埋め立て |
| 目印 | 公園内で見学できる | 跡地を示す標柱は撤去済み |
電停から歩ける新選組ゆかりの3つの寺
3つの寺はそれぞれ異なる形で箱館戦争と関わっています。特徴は図表5のとおりです。
図表5
| 寺 | 箱館戦争との関わり | 境内の見どころ |
|---|---|---|
| 称名寺 | 新選組残党の屯所が置かれた | 土方歳三と隊士の供養碑 |
| 実行寺 | 住職が旧幕府軍の戦死者を埋葬した | 1918年に完成した土蔵造りの本堂 |
| 高龍寺 | 旧幕府軍の傷病兵の病舎となった | 傷心惨目の碑 |
函館どつく前電停から徒歩8分ほどの称名寺には、新選組残党の屯所が置かれていました。戦後に建てられたとされる土方の供養碑は明治期の大火で失われ、現在の碑は1972(昭和47)年に有志が建てたもの。新選組隊士4名の名前も刻まれています。
実行寺の住職である日隆は、町中に放置されていた旧幕府軍の戦死者を、新政府軍の命令に背いて侠客の柳川熊吉とともに回収し、埋葬しました。戦死者は「賊軍」の汚名を受け、弔われないままだったとされています。
高龍寺は1633(寛永10)年創建、函館市内で最も古い寺院です。箱館戦争では旧幕府軍の傷兵の病舎となりましたが、乱入した新政府軍(官軍)の兵士により傷兵十数名が斬殺されました。本堂の右手前には、旧会津藩士たちが犠牲者をしのんで建てた「傷心惨目の碑」が残ります。
場所に諸説ある土方歳三最期の地碑
写真2
筆者撮影
ルートの最後は、JR函館駅から徒歩10分ほどの若松緑地公園にある土方歳三最期の地碑です。土方は約50名の兵を率いて五稜郭を出陣し、一本木関門を過ぎた先で銃弾に倒れましたが、戦死した場所には主に次の説があります。
・一本木関門の付近(現在の碑に近い場所)
・鶴岡町(現在の大手町付近)
・栄国橋(異国橋とも呼ばれ、現在の十字街付近)
場所は断定されていませんが、碑の前には全国のファンが手向けた花が絶えません。駅に近く、最後に回ると帰りの移動がスムーズです。
まとめ
新選組の戦いは、土方歳三の戦死から4日後、弁天台場の降伏で幕を閉じました。台場の跡や3つの寺、土方の碑はいずれも電停や駅から歩ける範囲で、筆者は【所要時間を記入】で回りました。
1日乗車券800円は3〜4回以上乗ると得になるため、ルートに合わせて普通運賃と比べてから購入しましょう。
執筆者 : 木彫りグマ
FP2級、北海道在住ライター