Scratchで製作した野球ゲーム


学校の授業で行なったロボコンでの作品



■組み立て説明書と創造性



 我が子がLEGOで遊んでいる様子を見て、あることに気が付きました。

 組み立て説明書を見て一生懸命に組み立てている姿を見て、微笑ましく思うと同時に、そういえば自分が子どもの時はこんな組み立て説明書は無かったなと。色々なテーマの世界観を製作できるようにセットが出来上がっていて、説明書の通りに組み立てれば完成させることができる今のLEGOを見て、素直に進化したなと感心をしていました。

 というのも、自分が子どもの時にも、こうしたセットはあったのですが、遊び方は説明書の通りに組み立てるよりも、自分で世界観を想像し、それを形にするようなイメージで遊ぶ方が多かったのです。今思えば、あれば表現手法の一つであったように感じますし、そのために完成というゴールはなく、常に何かを新しく生み出していることがLEGOの魅力であったように思います。しかし、我が子を見ていると、組み立て説明書の通りに組み立てて完成させた後はそれを飾るだけでそれ以降、触ろうとしません。そこで、完成したものを改造していく提案をしてみたのですが、反応は素っ気ないもので、むしろ拒絶に近いものでした。

 話を聞くと、「せっかく完成させたのに、壊したくない」という当然の答えが返ってきました。

 それはそうだなと納得したのですが、ちょっとここで疑問が浮かんできました。説明書の通りに制作して終わりという遊び方しかしなかったなら、創造性は育まれるのだろうか。自分の力で新しいものを生み出したり、アイデアを形にするという力は育つのか。一生懸命に説明書を読み、しっかり完成させることで養われるものも当然あるとは思っていますが、どこかもったいないなと感じたのです。



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Scratchで製作した野球ゲーム



■プログラミング教育で感じたギャップ



 さて、私は小学生にプログラミング教室で指導もしていたのですが、その際に一つの壁にぶつかっていました。

「プログラミングを教える」=「マニュアル通りにプログラミングを完成させてあげる」

 ということに終始してしまっていて、プログラミング的思考の本質、資質能力の向上という点において手応えを感じられないという壁です。マニュアルを作り、その通りにプログラミングをさせても、自分でオリジナルのものを作るスキルは身につかず、マニュアルなしでテーマに沿ったゲームを作ってみようという企画を立てたものの、大半が動けない上にマニュアルはないのかという不満が明らかに募ってしまう。

 プログラミング教室というのはプログラミングを通じて、プログラミング的思考や試行錯誤のトレーニングを行なうことで子ども達の資質能力を向上させようということが目的であったはずが、盲目的にマニュアル通りにゲームを作って遊ぶことが目的になってしまっているという現実に大きなギャップを感じていたのです。



■学校でのロボットコンテストがヒントに



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学校の授業で行なったロボコンでの作品



 そんな折、都内の私立中高一貫校の授業でロボコンにチャレンジする機会を得たので、せっかくやるのなら、マニュアル通りに制作して競うというものではなく、いっそのことマニュアルを与えずにロボコンのルールだけを設定し、計画からすべて生徒に考えさせてみようと考えました。

 今思えば、かなり無茶な手法であったと思います。パーツの使い方はある程度教えますが、基本的には生徒が話し合い、調べ、制作を進めました。制御プログラミングについても基本的なベースは用意したものの、挙動については生徒が考えて構成するようにしていたのですが、結果的には生徒の悲鳴も聞こえてきたものの、すべてのチームが本番にエントリーできる状態まで仕上げてくれました。

 そして、ロボコン当日、試合直前まで挙動の調整をする生徒も多数いる中、周囲に歓声などの騒音で迷惑をかけながらも大いに盛り上がり、さらに1回戦で負けたチームが敗者復活はないのか、と泣いて懇願してくるなど、自分達がゼロから作り上げたロボットに対する愛着とそこにかけた彼らの熱意を肌で感じる結果となったのです。

 そして、彼らはその期間、確かに必死に考え、チャレンジし、ただロボットを完成させただけではない成長をしていると実感しました。



■正解のないチャレンジにこそ成長がある



 学校でのロボコンは大いにヒントを与えてくれました。

 苦しみながらも、何が正解か分からない中で自分達なりの解答を形にしていき、試し、失敗し、直して完成に近付ける。まさに探究学習の姿であるようにも感じましたし、それだけ夢中になれたからこそ、愛着も生まれ、勝負にもこだわるようになる。そして何より、それだけのエネルギーをかけて試行錯誤を行なってきたということ自体が、彼らの思考力を育てたのではないか、と思います。これはマニュアル通りに作業をしたのでは得られない結果であり、プログラミング学習で感じたギャップ、LEGOで感じたもったいなさを解決していく方法がここにあるように思います。

 私が感じていた壁の正体はきっとここにあったのでしょう。要はマニュアルという絶対的な情報を与えてしまったために、子ども達を縛っていたのであり、教え過ぎていたのです。すべてを突き放せば良いのではないと思いますが、正解のないチャレンジにこそ成長があったのです。考えてみれば当たり前なのですが、何かの目標に向けて自分で考え乗り越えなければならないという環境に身を置いてみるという経験はやはりとても重要だったということです。

 その中でロボコンにチャレンジするということは、そういう意味でとても可能性のある教育の手法だと思い、現在では東京都江東区にてプログCLUBというロボット制作チームを立ち上げました。まだメンバーは少ないですが、ロボコンにチャレンジする学生と共に、正解のないチャレンジを続けていけたらと思っています。

 ただ、ロボコンにチャレンジするというのは資金的な面で、なかなか一筋縄でいかないという現実もありますが、そういう部分をどう解決するのかという点も正解のないチャレンジだと思いますので、メンバーと話し合いながら挑戦し続けるのが良いと感じています。クラウドファンディングにも挑戦中ですので、ご興味のある方は是非、ホームページを覗いて頂けましたら幸いです。



プログCLUB : https://moroedu.com/progclub/



誰もがロボコンを目指せ、子ども達が夢中になって成長できる環境作りに挑戦! : https://camp-fire.jp/projects/view/323330



 脱線してしまいましたが、マニュアル通りに誰もができるようにするというのは一見するととても親切で、素晴らしいことのように見えますが、実は頼り過ぎてしまって見えなくなっているものがあるのではないか、とも思います。分かりにくい、正解が見えないことにチャレンジするからこそ得られるものにも目を向けることが大切なのではないでしょうか。



情報提供元: @Press