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桃太郎といえば岡山
と相場が決まっているようですが、実はそうではなく全国各地にもっともらしいお話が残っています。桃太郎神社なるものが愛知県犬山市、岐阜県中津川市、香川県高松市などに存在していることからもわかります。
桃太郎が世の中に生まれたのは定かではないそうですが、今のところ室町時代だといわれています。話の筋もいろいろですが、今のような形になったのは江戸時代で、日本全国に広まったのは明治時代の教科書に載ったためです。
家来がイヌ、キジ、サルとなったのも明治時代からで、鬼ヶ島へ鬼退治に行き鬼をやっつけるという話は、軍国主義時代の鬼畜米英というスローガンに利用されていました。戦後は勧善懲悪といった道徳の話になっていますね。
なぜ岡山県が桃太郎伝説の中心地になったのか。ひとつには“桃”が名産ということ、次に“きびだんご”のきび(黍)が岡山の古い名称「吉備(きび)国」と同じ読みをするからなど、ややこじつけている感も否めません。しかしこれだけではなく、決定的な証拠も残っています。
第10代崇神(すじん)天皇の時代に、吉備国では異国から鬼がやってきて国中で暴れていました。そこで、天皇は
吉備津彦命(
きびたけひこのみこと)に鬼(温羅/うら)征伐を命じたのです。厳しい戦いの後、勝利を得た吉備津彦命は、その後神様として吉備津彦神社(現吉備津神社=きびつじんじゃ)に祀られました。この話から吉備津彦命が桃太郎だ、といわれています。
「吉備津神社」はもともと吉備津彦神社と呼ばれていましたが、現在は「吉備津神社」で統一されています。
吉備津神社
の創建は不明ですが、崇神天皇の時代(紀元前148年~紀元前29年)以降であることは間違いなさそうです。ご祭神は
吉備津彦命で、なんと281歳まで生きた
といわれ、
ご利益は当然ながら健康長寿
です。
御竈殿(おかまでん/国の重要文化財)には、吉備津彦命に退治された鬼の首が埋められているそうです。御竈殿では希望者に釜の鳴り具合によって吉凶を占ってくれます。これは伝統行事の「鳴釜(なるかま)神事」といい、金曜日を除く毎日執り行われており、初穂料3,000円からです。
参道から拝殿・本殿に向かう階段の手前には
矢置岩
(やおきいわ)があります。これは吉備津彦命が鬼の城に向かって矢を射た時に矢を置いたという石で、現在でも1月3日に矢立の神事が行われています。
鬼が住んでいたといわれる城跡も残っています。岡山県総社市にある「
鬼ノ城
(きのじょう)」(鬼城山/きのじょうざん)で、標高約400m、鬼城山山頂の絶壁の上に立つ古代の城は、まさしく鬼の城です。現在は復元された要塞のような西門が城入り口に建ち、ここで鬼たちが門番をしていたと思うと、桃太郎が鬼を退治してくれたことに感謝しかありません。
矢置石から階段を上っていくと、国の重要文化財に指定されている北随神門があります。門をくぐってさらに階段を上ると
国宝の拝殿・本殿
があります。
1425年(室町時代)に建てられた拝殿・本殿は、2つの破風(はふ=三角形の屋根部分)をもつ比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)と呼ばれる全国でも吉備津神社しかない様式で、吉備津造とも呼ばれています。
吉備津神社の本殿・拝殿は記録によると創建以来2回火災にあい焼失していますが、約600年前に25年もの歳月をかけ再建されたものです。それ以来一度も解体修理されておらず、建築当時そのままの姿で建ち続けています。
本殿からは岡山県の重要文化財に指定されている
全長360m
になる、地形に起伏にあわせたまっすぐな
回廊
があります。回廊の脇にあるのが吉備津神社最古の建物、1357年に建てられた南随神門(国の重要文化財)で、途中を曲がった突きあたりが御竈殿です。回廊を最後まで歩いた先には、子育てや安産にご利益がある「本宮社」があります。
岡山県の桃太郎伝説は『「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~』として日本遺産に認定されています。
[車]山陽自動車道岡山ICから約20分、または岡山自動車道岡山総社ICから約15分
[公共交通機関]JR桃太郎線(吉備線)吉備津駅下車徒歩約10分
吉備津神社から車で20分ほどのところにあるのが、日本三大稲荷といわれる
最上稲荷
(さいじょういなり)です。関東地方では京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷、茨城の笠間(かさま)稲荷が三大稲荷神社といわれていますが、西日本では伏見稲荷、豊川稲荷、最上稲荷です。三大稲荷のひとつといわれると、参拝しないわけにはいきません。
お稲荷さんといえばきつねの像がある神社を思い浮かべますが、最上稲荷は正式には最上稲荷山妙教寺(さいじょういなりさんみょうきょうじ)といい、日蓮宗(にちれんしゅう)のお寺です。しかし不思議なことに鳥居があり、これは江戸時代まで続いていた神仏習合というお寺と神社が同居する制度の名残なのだそう。明治以降神仏分離政策で神社と仏閣は分けられましたが、何故か最上稲荷はお寺の中に神社が残ったのです。
最上稲荷の創建は約1200年前と伝わっています。本尊は最上位経王大菩薩(さいじょういきょうおうだいぼさつ)で、
ご利益は商売繁盛
です。ご利益は稲荷神社と同じですね。最上稲荷はお寺でありながら本堂ではなく、神社のようなしめ縄がかかっている本殿(霊光殿)があります。
門前にはいなり寿司のお店がありましたよ。
[車]岡山自動車道岡山総社ICから約10分
[公共交通機関]JR桃太郎線(吉備線)備中高松駅からタクシーで約5分
余暇プランナー
雑誌などの取材や撮影で日本全国まわっていたら、いつのまにか47都道府県制覇してました。取材して歩く中で必ず行くのが神社。というのも祖父が仏式から神式に変えたため、行事はいつも神社か神主が来て祝詞を上げるという家柄、お寺には縁がなく、どうしても神社に親しみを感じてしまいます。参拝すればやはりお願い事は必須です。でも神様だって得手不得手はあるので、その神社の神様が一番叶えてくれそうなお願いをすることにしています。