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「高校を卒業した後、私は愛知県の自動車整備士学校を卒業して、スーパーカー世代で憧れだった車の整備士を始めました。その後、ヴィンテージカーを輸入してレストアをする仕事を始めたんです。」
と、自身のものづくり気質や憧れなどから、車に関わる仕事をしていたという松本さん。
しかし、勤めていた会社の経営状況が芳しくなく、半年以上も給料がほとんどもらえない状態が続いたのだそう。
当時は月の食費が3,000〜4,000円程度だったという松本さんは「食と性というものが根源的で大切なこと」「困窮すると人に対しての思いやりが減ってしまうこと」に気がついたのだそう。
「この時に感じた大切なことの1つ目は、ものづくりの嬉しさ。そして、人に喜んでもらえるという嬉しさ。2つ目が、人の根源。欲求を大切にするという事。3つ目が思いやり。この3つに心の深いところで気がつくことができました。」
この経験から、松本さんは現在にも繋がる大切なことに気づけたのだと語りました。
その後、地元静岡で中古車販売のセールスマンへと転職し、生活が安定してくるとものづくりに対する欲求がどんどんと湧いてきたそう。
世の中のリサーチを兼ねて様々な店舗を巡る中、ふと立ち寄ったアダルトビデオショップのグッズコーナーで、違和感と不安を感じたのだとか。
「そこには、昨日まで見てきたものがない。ブランド、デザイン、会社、そういうものがどこにもないんです。さらに、問い合わせ先も書いてない。保証とかも書いてないんですよ。次にもっと凄いなと思ったのは、メイドインジャパンみたいな製造国表記もなければ、バーコードもないんです。今まで気がつかなかったけれど、これがアンダーグラウンドのマーケットなんだということに気がつきました。」
性に対するプロダクトがこういったものしか出回っていないことを知った松本さんは「自分がもっとポジティブで、フレンドリーで、一般のものとしての新しいカテゴリーを作ろう、それで革命を起こそう!」と、店舗の中で密かに決心。
1年かけて1,000万円貯金し、自主制作に入ることに。
6年以上も1つの製品を作り続けている職人との交流から「自分は6年もかけてはいけない。今やらなければいけない。今、作ると誓ったじゃないか!」と決断した松本さんは奮起。
たった1度のチャンスを掴み取り、TENGAブランドが世の中に誕生することとなったのです。
「2005年当時、5,000個売れればヒットと言われている時代に、TENGAは1年で100万個も売ることができました。今では(国内で)2万4,000軒のお店で扱っていただけるようになり、世界73の国と地域で発売されています。」
と説明。
女性向けのブランド「iroha」や、TENGAとirohaそれぞれでライフスタイル・ヘルスケアライン、カップル向けの「CARESSA」、アパレルブランド・就労支援施設など、幅広く展開を行っています。
原宿の東急プラザ原宿 ハラカド3階のギャラリースペースで開催中の松本光一展。
メイン展示のギャラリールームのテーマは「松本光一のひらめき」で、これまで松本さんが開発を行ってきたアイデアやプロダクトが展示されています。
初期のTENGAのデザインスケッチや、松本さんが制作を行っていた開発机も再現して展示。
机の上には、当時を再現した開発中の設計図や試作品、道具などが置かれているので、ぜひ現地でご覧になってみてください。
また、ギャラリールームに隣接したアートストリートでは、松本さんとTENGAがこれまで歩んできた道のりが掲示されています。
「今年は20周年ということで、人気商品の新型が2つ出たり、今までと違うirohaも出ます。また、グループ全体としては、やはり世界でも日本と同じように、たくさんの人に今よりももっと認めてもらい、一般化していくというフェーズにどんどん入っていきたいと思っています。例えば、別の国にもTENGAランドができるとか、TENGAショップができるとか、他の国のドラッグストアでもTENGAが並ぶとか、一般化するということもより進めていきたいと思います。」
と今後の展望を語った松本さん。
性を自由に楽しむためのアイテム・ブランドとして誕生したTENGAは、今や日本だけでなく世界中で知られるブランドとなりました。
ぜひその軌跡を体感しに、足を運んでみてはいかがでしょうか。