生きていると「運命としか思えない」できごとに遭遇することがある。単なる偶然かもしれないし、本当に運命だったのかもしれない。 日本語に訳すと「幸運は用意された心のみに宿る」と説いたのは、フランスの細菌学者であるルイ・パスツールだった。 起こるべくして起こる。これこそ運命だといえる。 しかし「起こるべくして起こる」ことが幸運なエピソードだとは限らない。自分の意思とは無関係に不本意な運命に出くわしてしまうことだって(少なからず)ある。 ■誰にでも「不本意な運命が起こるかもしれない」という事実 年間、100人単位でオーナーインタビューを行っていると、良い方と悪い方、それぞれの「起こるべくして起こった」エピソードに接することになる。 1度は金銭的な事情で手放し、必死に働いて見事にカムバックしたオーナー、コツコツ仕上げてきた愛車がもらい事故で廃車になってしまったオーナー、愛娘の中学受験の費用を捻出するために愛車を手放したオーナー。起業するためあえて退路を断つべく、相棒ともいえる愛車を手放したオーナー。そして高齢のため、クラシックカーの運転が厳しくなり、最新モデルに乗り替えるべく断腸の思いで手放したオーナー…。 このように、ざっと挙げただけでもこれだけある。まさに、人それぞれにエピソードがあることに気づかされる。 そして、改めて振り返ってみると、不本意な理由で愛車を手放した経験があるオーナーが思った以上に多かった。特に多かったのが結婚や出産を機に泣く泣く…というパターンだったように思う。なかにはこの段階でクルマ趣味を諦めたという方もいた。 そう考えてみると、20年、30年、あるいはそれ以上、1台のクルマととことん付き合っているオーナーの存在が奇跡かもしれないとすら思えてくる。 ■親友が所有していたマツダ RX-7の話 もう数十年前のことだが、学生時代の親友がマツダ RX-7(FC3S型)で気になる中古車があるから一緒に観に行って欲しいと頼まれた。最寄り駅から徒歩で20分くらい掛けてバイパス沿いにある小さな中古車販売店に2人で足を運んだ記憶がある。 ずっと欲しいと思っていたクルマ(FC3Sの限定モデル)が手頃な価格で売り出されていたこともあり、親友はその場で即決。確か納車のときも一緒に行ったと思う。平成1ケタ、1990年代前半といえば、スポーツ系モデルのチューニングが盛りあがっていた時期だ。親友もご多分に漏れず、手に入れたRX-7をチューニングしていったことはいうまでもない。 それから1年ほど経ったある日、深夜の湾岸線でエンジンブローを起こしたのを機に、その後はゼロヨンの世界へと傾倒していく。やがて、いまでは完全に絶滅した街道ゼロヨンにも参戦するようになった。その頃には当時としては珍しい13B型の2ローターエンジンにブリッジポート加工が施され、親友のRX-7は独得のアイドリング音を轟かせていた。いまでも「ドッドッドッ」という心臓の鼓動のように一定のリズムで刻むアイドリング音、そして走り去る際の残り香のような濃い生ガスの匂い(※臭いではない)を思い出すことがある。 まさに親友のこだわりと熱量と給料がこれでもかと注がれたRX-7、あるとき再びエンジンブロー。今度ばかりは直そうにも資金が捻出できない。親友としては不本意だったと思うが、結局、最後はそのRX-7も手放した。 それから数年後。たまたま2人でいるとき、偶然このRX-7と再会することになった。親友が青春と当時の給与をほぼすべてつぎ込んだRX-7は別のオーナーが所有し、まったく別の姿になっていた。それでも、そこかしこに当時装着していた部品が残されていたのでお互いすぐに分かった。 何とも複雑な心境ではあったが、せっかくだからということで親友と元愛車であるRX-7とのツーショット写真を撮った。このときのデータはいまでも手元に残されているが、撮影しておいてよかったと思う。結果として、このときがRX-7との最後の対面となってしまったからだ。その後、このRX-7がどうなったのかは分からない。 ■「いっそこの世から葬ってしまった方が引きずらなくて済む」という選択 壊れて修理に高額な費用が掛かることが分かり、「知らない誰かのところに嫁いでいじくり倒されるくらいなら、いっそこの世から葬ってしまった方が引きずらなくて済む」という涙の決断を下した方もいた。 一部の方には反発を食らうかもしれないが、事あるたびに「あのクルマいまどうしているのかな」と思い悩むくらいなら、いっそスクラップ、廃車にしてしまおう。この方が気持ちに区切りがつけられる。終わりを見届けたことで(クルマには申し訳ないけれど)諦めがつくということなのだろう。 なかにはスクラップ場まで同行し、愛車との最後の別れを惜しんだという方もいる。ちなみにこのオーナー、せめてもの思い出として、2度と使うことはない愛車のキーを手元に残し、大切に保管しているそうだ。 ■「あえて愛車に深入りをしない」という接し方もある 取材した方のなかには「失ったときのショックが計り知れないから、あえて愛車に深入りしない」と考えているケースもあった。それはそれでありかもしれないと思った記憶がある。 よくよく話を伺っていくと「若い頃、憧れのクルマを手に入れて楽しんでいたある日、ふと浮気心が芽生えてしまい、別のクルマに乗り換えてしまった」のだという。いわゆる魔が差したというやつだ。 この先の展開はクルマ好きの方であればおおかた予想がつくだろう。 新たに迎え入れたクルマにはすぐに飽きてしまい、買い戻そうにも元愛車は売約済みで別のオーナーが所有しているという。結局、二束三文で売り飛ばすことになり、「つなぎのつもりで」手に入れたアシ車に乗り替えてからずるずると10年以上が経過…。現在の愛車にはそれほど想い入れがない分、飽きることもなければ、わざわざ手を加えようとも思わないそうだ。 ただ…、ときどきふと思い出したようにネットで検索して元愛車がどうなっているか調べてしまうのだという。どこかの誰かが所有しているのか、廃車になってしまったのか、それとも海外へと流れたのか…。しかし、いまだに手掛かりはつかめずにいるそうだ。 この呪縛から逃れるためには元愛車よりも惚れ込めるクルマを見つけるしかないのだが、こればかりは「運命の出会い」次第なのでジタバタしたところでどうなるものでもない。そんな堂々巡りを繰り返しているうちに「あえて愛車には深入りしない」という悟りに近い境地に達してしまったのだという。 ■まとめ:「不本意にも手放さざるを得ない愛車との別れ」は若いうちに経験すべき? 多くの辛い経験がそうであるように、最終的には時間が解決、あるいは忘れさせてくれるような気がする。時が経つにつれて美しい思い出へと補正されることもあるだろうし、リベンジするべく、奮起する時間的な余裕もある。 しかし、ある程度年齢を重ねてからの「不本意にも手放さざるを得ない愛車との別れ」は予想外にダメージが大きい。所有していた愛車との時間が長ければ長いほどダメージの度合いも大きくなる。それならば、いっそこの世から葬ってしまった方が…と思ってしまいたくなる気持ちも理解できる。 老いも若きも、遅かれ早かれいずれ愛車との別れの日が必ず訪れる。来るべき日が訪れてしまったとき、できることなら運命とやらに翻弄されるのではなく、自分の意思とタイミングでその日を迎えたいものだと思う。 [撮影/松村透、画像/Mazda,Mercedes-Benz、ライター/松村透]
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