当記事の「前編」では、オーナーの淵本芳浩さんのT360(1965年式)が修理されるまでをレポートした。 ● “伝説の軽トラ”ホンダ T360(AK250)復活記【前編】https://www.qsha-oh.com/historia/article/honda-t360-part1/ 今回の「後編」では、淵本さんのT360の修理を担当した整備士、西栄一さんのT360(1966年式)を紹介。 西さんは、この個体を手に入れて今年で50年を迎えたそうだ。 前編でも紹介したとおり、部品取り個体を入手したことで淵本さんと西さんのT360の修理を実施。 今回は西さんの所有する個体に注目しながら、T360の魅力を掘り下げてお届けする。 ■ホンダ T360とは 前編のおさらいにはなるが、ホンダ T360は二輪メーカーだったホンダが四輪業界へ進出した際、初めて市販された四輪自動車。 1963年から1967年まで生産されたセミキャブオーバータイプの軽トラックだ。 水冷直列4気筒DOHCエンジンを国産車で初めて搭載したクルマでもある。 エンジンを15度に寝かせて座席の下に搭載する、ミッドシップレイアウトとなっていた。 当時の国産車のエンジンは、4ストロークOHVエンジンが主流だった。 軽自動車においては2ストローク2気筒、20〜25馬力程度の時代、T360は最高出力30馬力を8500回転で発生する高回転高出力型のDOHCエンジンを搭載。 吸気系に4連キャブレター、排気系はタコ足で武装。 当時の高級乗用車と比べても異次元のメカニズムで高性能を誇った。 ⚫︎細かい変更・改修が繰り返され、部品が合わない場合も T360はデビュー以降、細かな設計変更・改修を繰り返しながら実用的な軽トラックとしてあるべき姿になっていく。 ただ、設計変更時の明確なマイナーチェンジモデルは存在しない。 現場の声に素早く対応するため、その都度設計変更・改修が加えられたからであった。 よって、同じ年式の部品取り車があったとしても、部品が合わない状況が多々ある。 これが T360の維持と再生を困難にする一因にもなっている。 以上のような、現代にはありえない別格の生まれであることが、このクルマの魅力の一部にもなっているのだろう。 ■同じ型式でもさまざまな部分が違う ▲違いに気がつくと、表情も違って見えてきておもしろい 上記でも述べたが、T360の大きな特徴のひとつが同じ型式でも仕様が異なる点だ。 生産当時、現場の声に素早く対応するため設計の変更・改修が加えられた。 なので、わずかな年式の間でも異なっている部分がある。 今回は1965年式と1966年式のAK250が2台あるので、比較して違いを探してみた。 ●フロント周り フロント周りを見比べてみよう。 まずはボンネットの素材が違う。 1965年式は鉄製だが、1966年式になると樹脂製になった。 それから、バンパーのナンバー取付部に注目。 1965年式では凹みにセットされるかたちで装着されているが、1966年式になると、バンパーにそのまま貼り付けたように装着されている。 さらにウインカーをよく見ると、1966年式のほうが少し大きく突起している。 また、Bピラーにも注目。 1966年式にはスリットが入っている。 これは車内換気用のものではなく、エアインテーク…つまり吸気系の取り回しがすべて異なるのである。 ●エンブレム エンブレムのプレートは、1965年式は鋳物のエンブレムだが、1966年式ではシールになっている。 コストダウンされた部分のひとつかもしれない。 ●マフラー 1965年型は複雑に湾曲したタコ足だが、1966年型になると消音器の付いた集合管へ。 当時の排ガス規制に対応している。 ●キャブレター <PH>220_3052 AK250は、1965年型はケーヒン製の4連(CVB27型)、1966年型は三国ソレックス製の2連(BSW23型)のキャブレターを採用していた。 整備性を良くする目的で4連から2連になったと思われる。 加えて整備性も向上。 キャビン後部のシートアンダー中央のフレームの一部がカットされていて、ビスを取り外せばしっかりと手が入ってキャブレターに手が届き、作業しやすくなっている。 ●インパネ周り 1965年式のステアリングはホーンリングが付いているが、1966年式では白い部分がホーンボタンとなっている。 センターに並ぶスイッチ類も違い、1966年式ではグローブボックスのフタもなくなっている。 1965年式はプッシュタイプのスイッチ(スモール、ヘッドランプ、ワイパー)が3つ横並びで付いているが、1966年式になるとプルタイプのスイッチ(ワイパー、スモール・ヘッドライトの二段階式)の2つになる。 ちなみに、ロービームとハイビームの切り替え方法も異なる。 1965年式は足踏み式で行ない、1966年式はフラッシャーレバーで切り替える。 ●ブレーキペダルゴム ペダルパッドの形状を見比べてみると、1966年式は角形に変更されている。 疲れにくく操作しやすい「オルガン式」のペダルが採用されている点にも注目したい。 オルガン式ペダルはレーシングカーに採用されていることが多いが、商用車のT360に採用されているのは、当時のF1(第1期)に由来するのかもしれない。 ●リア周り フックの数が4本から2本に減らされている。 またボディの継ぎ目の位置の違い(テールレンズに継ぎ目が掛かっているかかかっていないか)にも注目。 この他にも、骨格であるフレームの断面がTの字からロの字形状になっていたりと、改修の多さはもはや“間違い探し”レベル。 オーナーの西さんによれば「まったく異なるクルマ」だそう。 しかし、このような違いがファンにとってはこだわりにもなっている。 ■所有歴50年のオーナー ▲オーナーの西栄一さん オーナーの西栄一さんは現在69歳。 レースメカニックなどの経歴を持つベテラン整備士だ。 T360は19歳の頃に入手し、現在に至る。 これまで、オートバイからフォーミュラマシンの整備まで幅広く手掛けてきた西さん。 幼少時代にT360と“衝撃の出会い”をしてからホンダに魅せられてきた。 西さん:「私の幼少時代は高度経済成長期を迎えていました。当時は東京オリンピックの影響で、ビルの建設や道路の整備が進み、道路では2サイクルのクルマがパタパタと音をあげて行き交っていました。そんななかで突如、甲高い音を発しながら走ってきたクルマこそT360だったのです」 自動車訓練校時代には、ツインカムエンジンの教材としてT360で整備技術を学んだという西さん。 運転免許を取得してからの愛車遍歴は、1300クーペ、 N360、シビック、アコードハッチバック、バラードスポーツCR-Xを乗り継ぐなどホンダが多かったが、19歳の頃に入手したT360だけは手放さなかった。 西さん:「まるでF1やフォーミュラカーみたいに感じることがあります。ホンダサウンドがたまりません。ドライブするときはオートバイのような感覚で乗っていますね。トラックでありながら中身はスポーツカー。エンジンは気難しく、当時は農業で使うのが大変だったかもしれないですね」 ▲「懐かしの商用車コレクション」のカラーリングを手本にボディカラーを自ら塗り換えた そんな西さんにT360との出逢いを振り返ってもらった。 西さん:「実家へ帰る途中、たまたま普段は通らない道を通りました。そのとき、整備工場の車両置き場にT360があるのを見つけたんです。前からT360が欲しかった私は、再度そこへ行って持ち主を訪ねました。聞けば不動車になりかけていて、かろうじてエンジンが掛かるものの、いつ止まるかわからないような状態でした。売却後のクレームを恐れたらしく、なかなか売ってもらえなかったんです。そこで『教材にする』という条件でようやく手に入れることができました。新車に近い価格で購入しました」 購入した直後の修理はどのように行ったのだろうか。 西さん:「当時のホンダSF(サービスファクトリー)に知り合いがいたので、部品の手配などを手伝ってくれました。今は部品がなくて苦労しているところです」 ▲リアに取り付けられているプレートは、西さんがモトクロスレースをしていた時期にオートバイ用品店で見つけて購入したもの。日本語に訳してみると…確かにこのT360と西さんにふさわしいと感じる ■T360の修理について 今回はエンジンの修理をメインに、破損していた外装品等の修理・改修を行なうため、部品取り個体から使える部品を摘出。 状態を確認したうえで交換・取付が行なわれた。 西さん:「T360のエンジンを修理するにあたり、エンジン、トランスミッション、ガードフレームを脱着して各部の修理を行ないました」 実は、西さんがこの個体を所有し始めた直後から大小さまざまなトラブルに見舞われており、「持病」のように付き合ってきた故障もあったという。 そんな故障と修理の過程を一部だが紹介したい。 T360の維持がいかに大変かを理解いただけるだろう。 ●1.エンジンオイルの量が増えていた?エンジンを分解してバルブリフターを交換 エンジンオイルが増える…そんなありえないことが実際に起きていた。 原因はフューエルポンプの中にあるダイヤフラムの経年劣化により、ガソリンがオイルパンの中に流れ込んでしまったことだ。 結果、エンジンオイルの量が増えるという事態が発生していた。...
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