RVブームの只中にあっても、まだまだセダンが全盛だった1990年代初頭。 各メーカーとも、大小さまざまなセダンモデルをラインナップしていました。 たとえば、トヨタなら「コルサ」「カローラ」「コロナ」「カリーナ」「カムリ」「セプター」「ウィンダム」「マークII」「クラウン」「アリスト」「セルシオ」…… 日産なら「サニー」「パルサー」「ブルーバード」「プリメーラ」「セフィーロ」「スカイライン」「ローレル」「セドリック」「プレジデント」…… といった具合(兄弟車まで含めるとさらに多い!)。 ▲今回のテーマ車、ラファーガ そんななかでもホンダは、“ワイド&ロー”を強調したスポーティスタイルのモデルで個性を発揮。 モデル名でいえば、「シビック」「コンチェルト」「アコード」「アスコット」「インスパイア」「ビガー」「レジェンド」など。 アイルトン・セナが活躍したホンダF1の全盛期だったこともあり、特に走りやスタイリングにこだわりを持つ“クルマ好き”な人たちに選ばれていました。 今回のテーマ車「アスコット/ラファーガ」兄弟は、1993年10月に登場したクルマ。 アスコットとしては2代目で、ラファーガはその兄弟車として登場したニューネームでした(初代アスコットはアコードの兄弟車だったから、ちょっとややこしい)。 ■キャッチコピーは「背が高いこと」 直列5気筒エンジンを縦置きにしたユニークなFF(前輪駆動)プラットフォームは、アコードインスパイア譲りのもの。 ここに「背高・高効率」のボディを載せたことが一番の特長でした。 当時を知っている人なら、「背が高いこと」のキャッチコピーを覚えているかもしれません。 具体的にいえば、初代アスコットの全長4680mm×全幅1695mm×全高1390mm(ホイールベース2720mm)に対し、全長4550mm×全幅1695mm×全高1425mm(ホイールベース2770mm)。 「短く・背高く・ロングホイールベース」とすることで、取り回しのしやすさと室内空間の拡大を狙ったというわけ。 ▲2代目アスコット さらに、サイドウインドウの傾斜角を少なくし、シートのヒップポイントを高めるなどして使い勝手にも配慮。 ホンダは、これを「ホンダ発・セダン新潮流」「高密度ダイナミックセダン」と表現していました。 スタイリングは、長いホイールベースを生かしたロングノーズ・ショートデッキで、まるでFR(後輪駆動)車のよう。 シンプルな面構成のボディに、小さなグリルが特徴です。 ワイド&ローを強調するため、薄型かつ横長のグリルが多かったホンダにあって、この小さなグリルが新鮮でした(どっしり感を出すため、バンパーグリルはワイドにデザイン)。 アスコットとラファーガは、ヘッドライト・グリル・フォグランプ・ウインドウトリムでそれぞれを個性化。 ▲左:アスコット、右:ラファーガ アスコットは、ブライトメッキのヘッドライトに縦格子のグリル、丸形フォグランプ、クロームウインドウトリムで落ち着いた雰囲気。 ラファーガは、ブラックのヘッドライトに横格子のグリル、角型フォグランプ、ブラックウインドウトリムで、スポーティな装いです。 インテリアもシンプルな意匠で、高級感と使い勝手の良さを両立。 上部まで生地貼りのドアトリムがユニークで、ホンダでは「シンプルでありながら、完成度の高いウェルテーラードインテリアが新しい感覚をもたらしています」としていました。 ▲アスコットのインテリア ▲レザー内装も設定 エンジンは2.0リッターと2.5リッター、2種類の直列5気筒を搭載。 2.0リッター車は5速MTと4速AT、2.5リッター車が4速ATで、全車2WDのみの設定でした。 サスペンションは全車、4輪ダブルウイッシュボーンと“走り”のホンダならでは。 2.5リッター車では、フロントタワーバーも標準装備していました。 ■最大のライバルは身内にあり 現代の目で見ればコンパクトで上質、凝ったメカニズムのセダンはとても魅力的に見えますが、残念ながらこの2代目アスコット/ラファーガは、大きなヒットに恵まれることもなく4年で生産が終了。 アスコット/ラファーガの名称もここで途絶えてしまいます。 ホンダ渾身のセダン新潮流は、どうしてヒットに至らなかったのでしょうか。 その理由は、名車&迷車列伝で取り上げるクルマの多くがそうであるように、クルマのデキによるものではなく、外的要因によるものだったといえます。 しかも、アスコット/ラファーガの場合、“身内”によるところが大きいのが、悲運なところ。 1つはホンダ・セダンモデルの旗艦車種、アコードのフルモデルチェンジ。 アスコット/ラファーガが登場するわずか1カ月前、5代目アコードが発売されています。 ▲5代目アコード この5代目アコードは、マークIIを始めとしたライバルたちが続々と“3ナンバー化”をしていくなかで、北米向けと同様のワイドボディを採用し上級移行。 グラマラスになったボディは、ホンダらしいスポーティネスを備えていました。 しかも、ボディの拡大はボディ全体におよび、全高は1410mmにアップ。 アスコット/ラファーガとの全高の差はわずか15mmしかなく、アスコット/ラファーガの「背が高いこと」は、発売時点ですでにそれほどアピール力を持つものにはならなくなっていたのです。 もう1つは、アコードをベースとした派生車種の登場。 1994年の「オデッセイ」に、1995年の「CR-V」、そして1996年の「ステップワゴン」と、新しい価値観を持つ(そしてずっとずっと背の高い)クルマが現れ、セダンという狭いくくりのなかでチャレンジしたアスコット/ラファーガの新鮮さは、さらに失われてしまいます。 1995年のマイナーチェンジ時には、大胆なリヤスポイラーを装着し、スポーティさを強調した「2.0CS」を追加しますが、販売向上の活力とはならず。 1997年にアコードが6代目へとフルモデルチェンジするのと呼応するように、生産終了となりました。 ▲ラファーガ2.0CS ▲2.0CSのインテリア なお、6代目アコードには新たに「トルネオ」という名の兄弟車が登場しており、「アコードの兄弟車」という意味で、このトルネオをアスコット/ラファーガの後継車とする向きもあります。 ■生まれるのも廃れるのも必然だった 「ホンダ発・セダン新潮流」へのチャレンジの方向性は間違っていなかったといえますし、実際に生まれたクルマはとても魅力的なものであったと思えます。 それでもヒットに結びつかなかったのは、バブル崩壊により人々の志向が大きく変わり、またRVやミニバンへの“ファミリーカーのシフト”が起こった激動の時代にあったためでしょう。 また、5代目アコードと登場の時を同じくしてしまったことも、アスコット/ラファーガが今ひとつ頭角を現せなかった一因だと言えそうです(その点ではホンダの失策でしょうか)。 ▲アスコットにはアスコット・イノーバという兄弟車も存在 仮にアスコット/ラファーガがあと3年早く登場していたら、その存在感はもっと大きなものになっていたはず……というのは簡単ですが、バブルに向かっていくイケイケの1980年代後半にこの実直なコンセプトが生み出せたかというと、難しかったでしょう。 アスコット/ラファーガは時代の中で必然的に生まれ、必然的に悲運を背負っていったのです。 まさに名車&迷車として語りたい、そんなクルマではないでしょうか? [ライター・木谷 宗義 / 画像・ホンダ]
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