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横浜・山下公園のそばに位置する「ホテルニューグランド」。1927年に迎賓館として創業し、海外の食文化を取り入れた数々のグルメを世に送り出してきました。今回はそんなホテルニューグランドが生み出してきた有名グルメを紹介します。
■【ドリア】実は日本で生まれた料理! 風邪を引いた宿泊客の要望で誕生
洋食店の人気メニュー・ドリア。フランス生まれのベシャメルソースを使っているので、一見すると海外料理のようですが、実は考案したのはホテルニューグランドの初代総料理長を務めたサリー・ワイルさん。れっきとした日本生まれの料理なんです。
サリーさんはパリからやって来たスイス人シェフ。メニューにない料理でも要望があれば提供していたそうで、ある日、ホテルに滞在していたお客さんから「体調が良くないので、のど越しのいいものが食べたい」とのリクエストで生まれたのがドリアでした。やがてドリアはホテルニューグランドの名物料理として、弟子たちによって他のホテルやレストランでも提供されるようになり、全国に広まったのだそうです。
■【ナポリタンスパゲッティ】米兵の食事をヒントに独自アレンジ!!
今や日本のスパゲッティ料理の定番となったナポリタンですが、その発祥は横浜のホテルニューグランド。考案したのは2代目総料理長、入江茂忠さんでした。
第二次大戦終戦後の7年間、ホテルニューグランドはGHQに接収されていました。その当時、入江さんは米兵がスパゲッティにトマトケチャップを加え、塩と胡椒を振って食べているのを目撃。これをヒントに、独自のアレンジを加えて現在のナポリタンスパゲッティが生まれたそうです。その後、ナポリタンスパゲッティは進駐軍文化に憧れを抱いていた市民の間で、爆発的に広がりました。
■【プリン・ア・ラ・モード】アメリカに合わせてプリンをボリュームアップ!
GHQに接収されていた関係で、戦後はアメリカ軍の将校とその家族の利用も多かったというホテルニューグランド。そんななか、当時ひとりのパティシエが料理好きの将校夫人から、アメリカの製菓学校の教科書を受け取り、様々な教えを受けたのだそうです。
そのパティシエは味だけでなく、量もアメリカ人に合わせる必要を痛感。デザートのプリンを単体で出すわけにはいかないと気がついたのだそう。そこで、プリンにアイスクリームや果物を添えて出し、現在のプリン・ア・ラ・モードが誕生しました。
顧客の求めに応じて、提供する料理を変化させてきたホテルニューグランド。現在も愛される料理の数々が生まれたのは、そうした柔軟性ゆえのものなのでしょうね。