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自身の美容整形をドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系関東ローカル)に完全密着させた有村架純(26)の実姉である有村藍里(28)が、大きな話題を呼んでいる。
同番組は、日曜午後2時からの放送という時間帯にもかかわらず、8.9%の高視聴率をはじき出し、その施術とは顎の骨を6分割したあと移動して整えるといった“大手術”で、術中の様子までもが放送された……らしい。そして、ネット上では
「妹にない魅力を大切にすべきだったのに」
「整形依存になるのではないか」
「そもそも芸能界に向いていない性格では」
……など、批判のコメントもぼちぼちは散見されるものの、おおむねは
「それで自分に自信が持てて明るくなれるのでは良いのでは」
……みたいな論旨の好意的な意見が占めているという。
ここで美容整形の正否を問うのはあまり意味がない。近年では一昔前ほどに拒絶反応を示す人は減少しつつあるとはいえ、いまだ“やったこと”がバレてしまうと、なんとなく後ろ指を指されているような被害妄想に襲われるのが“日本の現状”なのである。だからこそ「妹タレントにコンプレックスを抱く姉タレントの公開美容整形」なるテーマに“お茶の間”も釘付けになったのではなかろうか。
「批判の声」の一つでも、どことなく示唆されていたが、「美容整形をしなきゃいけないクラスの容姿しか持っていない彼女(=有村姉)は、そもそも芸能人には向いていないのではないか?」といった考え方がある。しかし、そんな疑念の声に、富士海ネコさんというヒトは『デイリー新潮』でこう反論する。
芸能人として可愛くなりたい、売れたい、それに見合う体に変えたい──その思いの強さこそ芸能界向きだと感じた。身の丈を自覚して生きることもできるけど、でももっと華々しい場所で輝きたい、という野心と行動力。
だが、もとより芸能界とは今も昔も異形の居場所である。飛び抜けた美しさ、途方もない才能、人並み外れた自意識。言葉を選ばずに言うならば、何かしら“化け物”のようなものを持つ人間でなければ生き抜けない世界。有村藍里が見せたすさまじい美へのコンプレックスとガッツは、ある種芸能界向きとも言えるのではないだろうか。
私も、この海ネコさんの持論には全面的に同感する。なかでも、とくに「向いているor向いていない」の重要な分岐点となるのは「人並み外れた自意識」だと私は思う。いくら「飛び抜けた美しさ」や「途方もない才能」の持ち主であっても、「人並み外れた自意識」がなければ、ミスなんとかやらAKBグループやらのオーディションには応募しないだろうし、NSCにも入学しないだろうし、しこしことつくったデモテープをレコード会社にも送りつけないだろうし、YouTubeにオレ(アタシ)自慢の動画もアップしないだろう。宝の持ち腐れってヤツである。仮に「街でたまたまスカウトされました」的な偶然に偶然が重なって芸能界でデビューしてしまったところで、それを持続しキャリアアップしていくには、やはり「人並み外れた自意識」が不可欠となってくる。
一応、名前を出し、こうやってコラムを書きつづる私とて決して例外ではない。腐ってもこのスタイルで25年以上どうにか食ってこれたのも「多少人並み外れた自意識」の賜物──ただ、芸能界で本格的にやっていくのなら……「もう少々人並み外れた自意識」が足りていないのかもしれない?