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「経済的に余裕のある家庭の保護者=それなりの地位・仕事を得ている=自分自身も勉強をしてきた、つまり『勉強の価値』を親自身が理解していることで、子どもに対するアプローチや、子ども自身が勉強の必要性を感じる機会を創出できているのではないかと思います」
つまり親の学歴が高かったり、経済的に豊かだから子どもが勉強に取り組むのではなく、それらの経験や環境を活用しながら子どもに「勉強を頑張った先に得られるメリット」をしっかり伝えて理解させている点が重要なのだ。
子どもの能力は当然親からのDNAの影響も大きいそうですが、やはり重要なのは子ども自身による努力。主体的に本人が“納得して勉強に取り組むために親はどう見守ればよいのでしょうか。
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世界トップレベルの人と同じ才能に恵まれた人間はおそらく世界に数多くいるだろう。勉強も鍛えれば東大にいける人間は、それこそ万の単位になるだろう。では、そのトップレベルとそうでないに人との間には一体、どんな違いがあったのだろう?
トップレベル近くにいる母集団の人間たちと、トップの人間と何によって差が出てしまったのだろうか?東大の合否境界の上と下、天国と地獄を分けたものは一体どういう経過によってなされたのだろう?
私が子どもたちに指示したことは、たった一つ。「いつも考えること」だった。
才能に恵まれても、人の指示に従うことに慣れてしまっている人は、自分で考える習慣がなく、なかなかレベルを上げることができないのだとか。運動でも勉強でも同じだと筆者は述べています。
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これまでの歴史でも、また現状でも、日本の受験ヒエラルキーの頂点が東大であることに異論はないだろう。5教科7科目を満遍なく全てトップクラスレベルでできなきゃ受からない。そんなヒエラルキーを勝ち抜いた人々、精鋭の集団、上澄み中の上澄みであるはずなのに、なぜ世間に出た時、イメージ通りのマルチなエリートがいる一方で、不器用でデコボコな東大卒がいるのだろう。
私のまわりで見かける東大卒の人々を見てもそうだ。「頭イイ」「スゴくデキる」のに、「常識に欠ける」「大企業からドロップアウト」「性格がアウト」、または「何かが致命的に欠如してる」。
なにかが突出してできる人は、別の何かが突出してできないということもあります。そんなデコボコを抱える東大生が、卒業してからの長い人生をどう生きるのかについてもまた凡人には理解できないスケールが広がっているのかもしれません。
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