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諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県にある諏訪湖周辺に4つの境内を持つ神社 。
信濃国一之宮で、 全国各地に約25,000社ある諏訪神社の総本社 です。 国内にある最も古い神社の一つ とされています。
上社と下社があり、 上社が本宮(諏訪市)、前宮(茅野市)、下社が秋宮、春宮(ともに下諏訪町) と諏訪湖を囲むように二社四宮で鎮座しています。
諏訪大社の特徴は、 4つある神社すべてに本殿と呼ばれる建物がない ことです。古代の神社には社殿がなかったともいわれていて、諏訪大社はその古い習わしを残していることがうかがえます。
社殿がない代わりに 秋宮はイチイの木、春宮は杉の木を御神木 とし、 上社は御山(守屋山)を御神体 としています。
またそれぞれの社殿の四隅には 御柱(おんばしら)と呼ばれる木柱が建てられています 。この御柱は7年に一度建て替えられていて、その際に開かれる 「御柱祭」 は大変な賑わいを見せる祭りとして有名です。
諏訪大社の創建はとても古いのですが、正確な時期は特定されていません。おそらく 1500年~2000年前 といわれています。
日本古代を代表する書物である 古事記にも登場 しており、 出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪まで訪れ、国を築いた と記されています。また 日本書紀には、持統天皇が勅使を派遣したという記述 も残されています。
諏訪大社には古くから 風と水の神が宿っている とされ、 日本各地に諏訪の神が蛇や龍の形で登場する伝説や民話が数多く残っています。
また中世以降は 東国第一の軍神 として崇拝され、 名将たちが全国各地に分霊を持ち帰った とされています。それが全国各地約25,000社の諏訪神社が祀られている理由のひとつでもあります。
現在は 生命の根源、生活の源を守る神様 として御神徳は広大無辺で、日本各地から多くの参拝客が訪れています。
諏訪大社で祀る ご祭神は2柱 います。
上社本宮のご祭神は「建御名方神(たけみなかたのかみ)」という男性の神様 で、 上社前宮と下社は「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」という女性の神様 です。 2人は夫婦神 でもあります。
建御名方神は地上を支配する 大国主命(おおくにぬしのみこと)の息子 です。
古事記によると、建御雷神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮のご祭神)が大国主命に国を譲るよう話をしたところ、息子の建御名方神が交渉に行くようになります。
しかし建御名方神は戦いに敗れて、諏訪の海まで逃げることになってしまいました。
そして建御雷神に命乞いをして国を譲り、 この地(諏訪)から出ないと約束をして諏訪の神になった といわれています。
戦いに敗れた建御名方神でしたが、その後妃や御子神たちとともに 信濃国を開拓統治してしっかりとまとめあげた ことにより、地元の人々からも敬わられ、いつしか 「日本一の軍神」として崇敬されるようになりました。
八坂刀売神は夫である建御名方神と喧嘩をし、怒った八坂刀売神は下社の方へ行ってしまいました 。いわゆる別居状態になったということです。しかし建御名方神は夜にこっそり湖を渡って八坂刀売神に会いに行っていたといわれています。これが諏訪湖の冬の風物詩である 「御神渡り」 です。
建御名方神は 諏訪大明神、お諏訪様 として親しまれ、風や水の神様から農業や水、海の守護神として各地に祀られています。
また八坂刀売神とともに 五穀豊穣、夫婦円満、子孫繁栄、商売繁盛などのご神徳がある といわれています。
御柱とは諏訪大社の4つの社殿の四隅に建てられる樹齢二百年ほど巨大なのもみの木の柱 のことです。
7年目ごとの寅と申の年には「御柱祭」 が行われ、諏訪大社氏子が総出で山から直径約1m、長さ約17m、重さ12tにもなるもみの木を切り出し、人力で里へ曳き上社・下社の各社殿を囲むように四隅に建てられます。
現在でも諏訪地方の氏子22万人がこぞって参加し、盛大に行われるお祭りです。その勇壮さと規模から天下の大祭として全国的にも有名なお祭りです。
祭りの歴史は古く、805年の桓武天皇の時代の記録にも信濃国一国をあげて盛大に行われていた記録が残っています。
御柱祭の正式名称は「式年造営御柱大祭」 といいます。
諏訪大社上社本宮は長野県諏訪市にあり、御神山である守屋山の山麓の原生林の中に鎮座しています。
日本最古の神社の一つであり、信濃国一之宮として信仰が厚く、 全国各地にある諏訪神社の総本社 です。
片拝殿が幣拝殿の左右に並ぶ独特の 「諏訪造り」 の建物で、4社の中でも最も多く建造物を残しています。
天正10年には諏訪へ侵攻した織田の軍勢によって焼き払われ焼失してしまいましたが、順次再建、改築されて現在に至っています。
現在の建物は江戸時代に再建されたもの です。徳川家康が寄進したという四脚門は1608年に造営されたものと伝えられ、そのほかにも国の重要文化財に指定されている貴重な建造物が残されています。
長野県諏訪市中州宮山1
https://suwataisha.or.jp/about/miyamori/kamishahonmiya/
諏訪大社上社前宮は長野県茅野市に鎮座し、本殿は内御玉殿から200mほど上段にあり、 古くは神殿に付属したお社 でした。
高台で豊富な水や日照が良い場所にあり、 御祭神が最初に居を構えた場所で諏訪信仰発祥の地 と伝えられています。
現在の社殿は昭和7年伊勢の神宮の御用材を使用して建てられています。
境内には諏訪明神の祖霊が宿るといわれる御神宝が安置された内御玉殿(うちたまみでん)や諏訪祭政が行われた十間廊などを見ることができます。
長野県茅野市宮川2030
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諏訪大社下社秋宮は長野県諏訪郡下諏訪町に鎮座し、 旧中山道と甲州街道の交わる交通の要衝に位置 しています。
鳥居をくぐってまず最初に目につくのは 「根入りの杉」と呼ばれる御神木 で樹齢800年にもなる大木です。
大注連縄が飾られた三方切妻造りの神楽殿、その奥には二重楼門造りの拝殿と左片拝殿、右片拝殿が横に縄びます。
幣拝殿の彫刻は江戸時代中期の名匠・立川和四郎の代表作です。神楽殿の両脇には高さ1.7m、 青銅製では日本一といわれる狛犬 が鎮座しています。
長野県諏訪郡下諏訪町5828
https://suwataisha.or.jp/about/miyamori/shimoshaakimiya/
諏訪大社下社春宮は長野県諏訪郡下諏訪町に鎮座し、 秋宮から西へ約1km、旧中山道沿いに位置 しています。
社頭から真直ぐ800mほど伸びる道路はかつての春宮の専用道路で、多くの武士たちが流鏑馬を競った馬場でした。参道にある下馬橋は室町時代に建立されたもので、下社では最も古い建造物といわれています。
御影石の大鳥居は1659年の建立と推定されています。その鳥居をくぐると正面に神楽殿が建ち、その奥に幣拝殿、宝殿があります。宝殿の奥には御神木の杉の木があります。
下社は春宮と秋宮は建物の配置は同じ であり、建物の彫刻について 2つの流派が技を競り合いながら作られていったものといわれています。
長野県諏訪郡下諏訪町193
https://suwataisha.or.jp/about/miyamori/shimoshaharumiya/
諏訪大社は諏訪湖を挟んで上社・下社とそれぞれ鎮座しています。
上社から下社までの距離は諏訪湖を周回して約14km、車で30分ほどで移動できます。
上社本宮と前宮、下社春宮と秋宮はそれぞれ5分程度で移動できるほど近い場所にあります。
上社の最寄りは中央自動車道諏訪ICで、本宮・前宮ともに約5分で到着します。
下社の最寄りは中央自動車道岡谷ICで、春宮は約10分、秋宮は約12分で到着できます。
電車では上社はJR茅野駅、下社はJR下諏訪駅が最寄り駅となりますが、その中間にある上諏訪駅からも移動することが可能です。
いずれも徒歩で約15分~40分で向かうことができますが、バスやタクシーなどの公共交通機関もあるので、そちらを調べてから移動することをおすすめします。
https://www.suwa-tourism.jp/feature/suwa-taisha/
諏訪大社は日本最古の歴史を持つ神社の一つで、日本全国各地からも崇敬されている大変格式の高い神社です。古くから水の神、風の神、東国一の軍神、さらに夫婦円満、子孫繁栄と様々なご利益があり、神社全体がパワースポットであるといえます。
これだけ歴史と格式のある諏訪大社の4社を訪れれば、ご利益を得られることは間違いないでしょう。
今年の初詣は諏訪大社を訪れてみてはいかがでしょうか。
余暇プランナー
元旅行会社勤務で今は山の中の観光施設で働きながら旅ライターをしています。元々旅行好きで大学も地理学専攻と根っからの地理マニアです。大自然の絶景と寺社仏閣などの歴史建築が大好きで、連休などあればすぐに車中泊で出かけてしまいます。その他登山やランニングなどとにかく家に引きこもっていることが苦手で、常に自然の中で過ごしていることが私の癒しになっています。