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「白石女敵討(しろいしめがたきうち)」 または 「奥州白石女敵討」 と呼ばれる 宮城野・信夫姉妹の仇討ち の話を少し詳しくお話ししましょう。
江戸時代初期1636年(寛永13年)夏のある日、白石を支配する伊達藩片倉氏領内、逆戸村の八枚田で父佐藤与太郎とその娘のまち、妹そのの親子3人が、田んぼの草取りをしていました。そこへ通りがかった片倉家剣術指南役志賀団七の袴に娘の投げた草の泥が誤ってかかってしまったのです。おそれ多いことと、父与太郎は娘ともどもひれ伏して何度も何度も謝ったのですが、団七は勘弁ならぬと父を手打ちにしてしまいました。
娘2人は命からがら逃げ帰ったのですが、母はそのショックから亡くなってしまいます。両親を失った姉妹は、やっとの思いで両親の葬儀を済ませ江戸へと旅立ちます。
江戸に到着した姉妹は、江戸で大評判になっている軍師 由井正雪(ゆいしょうせつ) の道場を訪ねます。正雪は姉妹の身の上を聞き、姉を宮城野、妹には信夫と名付け、表向きは女中見習いということにして、姉に鎖鎌(くさりがま)や手裏剣(しゅりけん)、妹には長刀(なぎなた)を徹底して教え込みます。
5年の修行の後、宮城野・信夫姉妹は正雪からの白石城主片倉氏への書状を携え、兄弟子3人とともに白石へ戻り、仇討ちを願い出たのです。片倉氏は江戸幕府に仇討ちの是非を打診し、幕府は仇討ちの許可を出します。
寛永17年2月、いよいよ宮城野・信夫は白石川六本松河原で志賀団七と相対します。剣術に長けた団七なので一進一退の戦いを強いられますが、姉妹の強い願いが通じ、仇討ちを成し遂げたのです。思いを遂げた姉妹ですが、心が晴れたわけではありません。その後出家し生涯を閉じたといわれています。(参照:白石市「白石噺観光ツアー」より)
この物語に登場する由井正雪は、江戸時代初期の軍学者です。駿河国(静岡県)の農家に生まれながら、戦国時代の武将楠木正成(くすのきまさしげ)に憧れ、武士を目指します。その後江戸に出て武芸と軍学を学び、その才覚で軍師として認められるようになり、道場は5,000人を超える弟子であふれていたといわれています。浪人など弟子たちの多くは仕官して役人に登用されましたが、本人は幕府や藩に所属したことはないようです。もっと大きな野心をもつ由井正雪は、1651年に江戸幕府に対してクーデターを企てますが、事前に発覚し自害してその生涯を閉じました。この事件は“由井正雪の乱”“慶安の変”“慶安事件”として後世に伝わっています。
最初に泥かけ事件が起きた 八枚田 (はちまいだ/白石市大鷹沢)は、東北新幹線白石蔵王駅の近くにある田園地帯にあります。一帯は田んぼになっていて、保存会の人々によって稲作が行われています。
「白石女敵討」では姉妹の父が武士に切り捨てられ、アニメでは姉妹の姉が鬼に殺されるという違いはありますが、よく似た物語であることは間違いなさそうです。関連があるかは、アニメ作者や制作会社が公式には何も発表していないこともあってファン以外にはあまり知られておらず、訪れる人も少ないようです。近くには父親と姉妹が祀られている大正時代に建てられた 『孝子堂』 がありますが、ひっそりと佇んでいます。
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仇討ちの舞台となった 白石川六本松河原 は、白石市の中心部を流れる白石川の河原で、旧白石城(益岡公園)の1kmほどのところにあります。草が生い茂るうっそうとした河原で、ぽつんと “奥州白石噺 孝女宮城野信夫父の仇討の所”と彫られた碑 が立っています。
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この宮城野・信夫による仇討ちの物語は、江戸でも知られるようになり、浄瑠璃(じょうるり/三味線を伴奏にして物語を語る舞台芸能)、歌舞伎、文楽など町民に人気の舞台となり大評判になりました。その中の『碁太平記白石噺(ごたいへいきしろいしばなし)』は、現在でも歌舞伎や文楽の演目になっていますが、残念ながら長い物語なので上演されることはほとんどありません)。
白石 は戦国時代には伊達氏の領地でしたが、豊臣秀吉により没収され蒲生氏(がもうし)の支配下になります。その頃蒲生氏により白石城(別名:益岡城・桝岡城)が築かれました。その後一時上杉氏が入りますが、関ヶ原の戦いの前に伊達正宗によって奪い返され、江戸時代を通じて 伊達氏の領地 となります。
江戸時代初期に江戸幕府より“一国一城令”が出されますが、伊達藩はふたつの城を有することが許され、支城の白石城には家臣の片倉氏が入り、領地を治めました。
白石城 は、1874年(明治7年)に解体されてしまいましたが、1995年(平成7年)に天守などいくつかの建物がほぼ忠実に 復元 され、周辺は 桝岡公園(ますおかこうえん) として整備されました。益岡公園内には 「白石城・歴史探訪ミュージアム」 が開設されています。
「白石城・歴史探訪ミュージアム」は、館内には白石及び白石城の歴史資料が展示され、3D立体ハイビジョンシアターでは宍戸開、田中健、柴田理恵などの出演で、竹下景子がナレーションを務めるなんとも豪華な演者によるオリジナルムービー『奥州白石噺「宮城野・信夫 娘仇討ち」』が上映されています。
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余暇プランナー
雑誌などの取材や撮影で日本全国まわっていたら、いつのまにか47都道府県制覇してました。取材して歩く中で必ず行くのが神社。というのも祖父が仏式から神式に変えたため、行事はいつも神社か神主が来て祝詞を上げるという家柄、お寺には縁がなく、どうしても神社に親しみを感じてしまいます。参拝すればやはりお願い事は必須です。でも神様だって得手不得手はあるので、その神社の神様が一番叶えてくれそうなお願いをすることにしています。
【宮城】人気アニメのモデル?白石市の姉妹による仇討ち物語を辿る旅