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古くは斑鳩寺と呼ばれ、飛鳥時代から続く 世界最古の木造建築 が残っています。1993年、日本初のユネスコ世界遺産。
創建の由来については、用明天皇が自分の病気平癒のために造りはじめたが途中で亡くなったため、その遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子が607年に完成させました。
国宝と重要文化財の数は200件近く、総数2300点を超え圧倒的です。
金堂と五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とする東院伽藍に分かれます。
何度か大規模な修理改修がされています。
わかっている最初の改修は800年前の鎌倉時代、以降、豊臣秀吉の安土桃山時代、江戸時代元禄期、最後に昭和の戦後です。
軒が深いというのは、屋根のひさしが長く出ているということです。
今の家ではありえない、1間つまり1.8メートル以上出ているのですが、実はそんなに簡単なことではありません。昔はサイディングの外壁などなく、壁が板壁や左官、そもそも柱を雨風から守るには、なるべく軒を出して深くする必要があったのですが、民家のように天井を低くすればいいのですが寺院のような建物ではそうもいきません。軒を出せば出すほどかかる重量が増え、時間がたつと下がってきてしまうので、肘木などの組み物や桔木などの テコの原理で工夫 して昔の人は作り上げていきました。
また、回廊の柱を見るとわかりやすいのですが、柱のフシがあるほうを南に向けてわざわざ見えるようにしてあります。これも今の木造では逆で、フシは見た目が悪いので見えないほうへ向けるのですが、実はフシがあるのは伐採前は南に向いて日に当たっていたからで、そういった 木材が育った環境に合わせて 長持ちするように考えられていたのです。
エンタシスと言われる柱ですが、触れることができる世界遺産です。
1400年という年月の間には、大小何度も地震に襲われただけでなく、台風もあったことでしょう。しかも、通常、建物は一気に倒れることは少なくても、小さいダメージが積み重なって、小さいズレがだんだん大きくなって倒壊するため、 年数を重ねるほど不利になっていく ので、1400年というのはおよそ考えられない年月です。
5つある各階はただ積み上げられているだけで、固定されていませんし、心柱も吊り下げられているだけでどこにも固定されていません。
この一見弱そうな「固定しない」「緊結しない」という方法がじつは大事だったという事実を、どうして1400年前の人たちが理解していたのか、不思議なことです。
https://yamatoji.nara-kankou.or.jp/008world/horyuji/0000000247/
近くにある法隆寺iセンターでは、法隆寺を含めた斑鳩のことや、奈良の観光情報も紹介しています。法隆寺に行く前に寄ってみるといいと思います。
ここの見どころのひとつに法隆寺の専属大工だった西岡常一さんの道具が展示してあるコーナーがあります。このなかには槍鉋・やりがんなという道具があります。
今よく使われている四角い鉋は室町時代からで、その以前は木の仕上げはすべて槍鉋でした。湖の湖面みたいに少し波立った仕上がりになります。姫路城の廊下の一部に当時の床板が使われていますが、それがこの仕上げになっています。
西岡棟梁はわざわざ鍛冶屋さんに頼んで槍鉋をつくってもらい、当時と同じ道具で修繕を行っていました。道具類はその時代を表しています。建物を見て、どうやって建てたのか、道具は何だったのか、と想像すると理解が広がります。今のような重機も機械もなく、 人の手で組み上げられ、原始的な道具で地道に作業 していたことを知っておくと、法隆寺の理解が深くなります。
https://horyuji-ikaruga-nara.or.jp/info/
金堂には、聖徳太子をモデルにしたといわれる釈迦三尊像がありますが、東院伽藍の夢殿には、国宝の救世観音立像があります。これはもともと絶対秘仏でした。つまり寺の僧侶も含め誰も見たことがないし今後も開扉することのないはずだったのが、フェロノサというアメリカ合衆国の東洋美術史家、哲学者が強引に開けてしまいました。
細身で古典的微笑・ アルカイックスマイル というスタイルで、通常の仏像とはまったく違う雰囲気を持つ、この気高さを湛えた飛鳥時代の名品は、しかしフェロノサが開けなければ今も私たちの目に触れることはありませんでした。
法隆寺が聖徳太子への信仰から生まれたというよく知られた事実に対して、太子信仰が現在の日本の原型を作っているという意識はさほど強くありません。「和をもって貴しとなす」、17条憲法にしても天皇制にしても、形あるモノないモノすべて1400年前の影響を受けて私たちは生きています。
修学旅行で行くことの多い場所ですが、本質的な理解は大人になってから改めて訪れることで深まりそうです。
余暇プランナー
仏像と歴史好きな、社寺建築の仕事をしていたおじさんです。全国の社寺、仏像を見て回り、古代から戦国の時代を空想しています。 空想しすぎて小説を書き、文学賞もらっちゃいました。旅ライターと小説家の2刀流おじさんです。