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今年10月30日、日本ワインの表示基準が変わります。これまで「国産ワイン」というと、日本で生産されたブドウのみを使い、日本で醸造した「日本ワイン」と、輸入濃縮果汁や輸入ワインを使って国内で醸造した「国内製造ワイン」が混在していました。これを明確に分けるためのルールです。
これにより日本ワインのみに、ラベルに「日本ワイン」と表示することができます。このルールは、国が策定したワインのラベルに関する初めてのルールとなります。今回はその日本ワインについて、詳しく解説します。
実はこの「日本の原料(ワイン)だけで造られたワインと、海外輸入ワインを国内醸造したワインは区別するべき」という意見は、日本のワイン生産者やワインの民間団体などから10年以上前から取りざたされてきたのです。この運動が実を結び、2016年2月にガイドラインが発表され、2018年10月30日からは正式にこの新たな表示基準が施行されることになりました。ラベルには「日本ワイン」の表記が必要になります。その他にも、使用される国内のブドウ産地や品種、そのパーセンテージまで規定されているので、そのための表記改定、増記、場合によってはワイナリー名まで改名をしなければならないところもあり、この間少なからず混乱を招いたことは否めません。
さて、晴れて「日本ワイン」と名乗れるようになったこの国のワインの歴史は、明治の時代に遡ります。1877年(明治10年)に今の山梨県甲州市勝沼町に、民間では初のワイナリー「大日本山梨葡萄酒会社」が設立されました。この会社を系譜に持つのが今のメルシャンで、メルシャンの醸造施設「シャトー・メルシャン 勝沼ワイナリー」は現在もこの地にあります。その後、様々な新規参入があり、ワイナリーは東日本を中心に徐々に増えていきます。
ただ、この頃はまだ本格的なワインは庶民には受け入れ難かったのも事実で、追随のワイナリーも苦戦します。そんな中で1907年(明治40年)、大阪で創業した「寿屋」(現在のサントリー)はワインに甘味料を入れた「赤玉ポートワイン」を発売、大ヒットさせます。そうです、現在も「赤玉スイートワイン」として販売しているあの商品です。大ロングセラー商品ですね。
しかし、第二次世界大戦中は酒類の生産に関して厳しい規制がありました。そんな中でもワインは生産が特別に奨励されていました。ワインにできる酒石酸が、潜水艦の探知機の材料として使われたため、国の指導の下、「飲むためではない」ワインが造られていました。ワインが兵器に使われるなんてちょっとビックリですよね。
そんな時代を経て、現在の「日本ワイン」の形が作られていったのは戦後からと言っていいでしょう。
現在は北海道から九州まで300近いワイナリーがあり、今もなお増え続けています。ちなみに東京にも練馬区や江東区などにワイナリーは4つあります。中でも早くから国際コンクールに出品するなど、世界を視野に入れたワイン造りをしていたのが先の「シャトー・メルシャン」と、1936年(昭和11年)に山梨県甲府市近郊の「登美農園」(現・サントリー登美の丘ワイナリー)を継承して、本格的なワイン造りをスタートさせたサントリーです。
メルシャンは、1966年に「メルシャン1962」(白ワイン)が国際コンクールで日本初の金賞を受賞しました。その後、今でもフラッグシップのひとつである「シャトー・メルシャン 信州桔梗ヶ原メルロー 1985」(赤ワイン)の1989年の国際ワインコンクールでの大金賞受賞を皮切りに、次々と国際ワインコンクールで受賞するようになります。
一方サントリーは1965年に「シャトーリオン」(赤ワイン・現在は販売されていない)が国際コンクールで初受賞、現在のフラッグシップである「登美 赤」は2000年から国際コンクール入賞の常連になっていきました。
こうした流れからか、「日本国内でもコンクールを! 」との声が上がり、2002年に日本ワインのみを対象とした「国産ワインコンクール」(現・日本ワインコンクール)が開催されるようになります。こうした動きも手伝って、全国のワイナリーがしのぎを削るようになり、ここ十数年で格段にクオリティーが上がってきました。また、8年ほど前から日本の固有品種である「甲州」を使ったワインを海外に輸出するプロモーションがロンドンで始まったり、日本ワインが航空会社のラウンジやビジネスクラスで提供されたりするなど、ワインはもちろん、日本の文化をも世界に知らしめるチャンスが増えていったのです。