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東急代官山駅に到着してホームから改札階へ登ろうとすると、階段の階段には件(くだん)の幽霊展の看板が。それも一枚や二枚ではなく、異なる内容の看板が何枚も。ひょっとして、この幽霊展は街をあげての大イベントなのだろうか?それにしても気になるのは、そこに書かれている「●●人も やがて幽霊。」という文言。はたして何を意味しているのだろう。
会場に足を足を踏み入れると、一番最初に出迎えてくれるのがこちらの襖。描かれているのは落ち武者の盗賊・大和田太郎道玄。1524年、上杉氏と後北条氏の戦いで被害を受けた渋谷は浪人や雑兵であふれ、坂道では大和田太郎道玄が旅人を襲っていました。渋谷の道玄坂の名は、その道玄が由来なのだとか。そして襖の中の道玄は、今も道玄坂にいる道玄自身の幽霊なのです。
襖を開けると、板の間の上には道玄が着込んでいたと思しき甲冑や盗んだであろう盗品が。
続いての襖に登場するのは、慶長5年(1600年)に大分へ漂流し、徳川家康に重用されたオランダ人・ヤン・ヨーステン。彼が拝領した邸地の一帯は「耶 揚子(や ようす)」と呼ばれ、明治5年「八重洲」という町名に。そう、ここは東京駅八重洲口。いつか母国オランダへ帰ることを夢見ながら願い叶わず天に召されたヨーステンは、今も多くの人が行き交う八重洲口に出没して、やるせない表情を見せているのでしょう。
襖の奥には、畳の上に置かれた洋風の机と椅子。机上の羽ペンやハットと傍にある行燈の対比が日本に来てしまった西洋人の悲哀を感じさせます。そして、畳の外には靴も。家の中では靴を脱ぐ日本の文化にヨーステンは戸惑ったのでは。こんな日本人にとっては些細なことも、彼にとって「帰りたい」気持ちを強くする一因になったかもしれないですね。
このほかにも、大量の銀を所有し白金長者と言われた柳下上総介(やぎしたかずさのすけ)や、私財を投じて新堀川の治水工事を行なった商人・合羽屋の喜八などのコーナーが。ここまでくるとわかりますよね、この幽霊展が何を取り上げているのか。そう、この『やがて、みんな幽霊展 〜怖くない幽霊屋敷〜』は、地名として名を残す人たちが今も幽霊としてその地にいるとしたらをテーマにした展覧会だったのです。道玄は道玄坂、ヤン・ヨーステンは八重洲、白金長者の柳下上総介は白金、合羽屋の喜八は合羽橋というわけですね。
と、ひと通り展示物をまわったところで行き着いたのがこちらのコーナー。「いや、これは歴史上の人物じゃないでしょ。どうみても現代人だし」と思った瞬間、「これ、私です」の声とともに襖の中にいた人物がいきなり目の前に。正直、この時がこの幽霊展で一番ビビりました。
こちらの男性は、今回の展覧会を主催した「文とアート出版」の中心人物で、コピーライター、クリエイティブディレクターの武藤雄一さん。この展覧会は、アートブック『やがて、みんな幽霊』(7月26日発売)の出版記念で開催したそうで、そのテーマは「無常と不変」。仏教からはじまり、平家物語や方丈記などさまざまな時代でさまざまな人たちが解釈を試みている無常と、データとして残り続ける不老不死や永遠が目の前に近づきつつあるテクノロジー時代の現代をかけ合わせて、生きること、死ぬこと、残り続けることを違う視点から考えてみようと企画したそうです。ちなみに街灯の下でカバンをまさぐっている様子は、武藤さんにとって日常的なこと。代官山で働いていた頃は、いつもこの辺りで事務所の鍵を探していたそうです(キーケースに入れておけば探しやすいのに、とはお伝えしませんでした。失礼かと思ったので)。そして冒頭で取り上げた「●●人も やがて幽霊。」という文言ですが、結局は誰しも死ねば幽霊になるよ、ということでした。
アートブック『やがて、みんな幽霊』は会場でも購入できます。
会期中は毎日先着50名に「幽霊ジュース」がプレゼントされます。
最後に幽霊展のロゴが描かれたフォトスポットの前で記念撮影。あれ?武藤さん、写っちゃいけないはずのものが後ろに見えますよ……。
普通、幽霊屋敷といえば「怖い」というイメージがありますが、この『やがて、みんな幽霊展 〜怖くない幽霊屋敷〜』は幽霊を題材にしつつも、どちらかというとダークファンタジー的要素が強く、大人から子どもまで恐怖感なしで楽しめるものでした(私的に唯一怖かったのは武藤さん本人の登場シーンかな)。私が訪れた初日の午前中には、どこで噂を聞きつけたのか二組の家族連れが早速訪れていて、展示物を見ながらおよそ幽霊屋敷とは思えない落ち着いたリアクションをしていたのが印象的でした。地名由来の知識が得られ、無常と不変を哲学的に考えることもできるこの幽霊展。夏休み前半のお出かけスポットとしておすすめです。