「何も言えない職場」はなぜ生まれるのか ハラスメント対策と管理職指導の難しさ
企業のハラスメント対策が進む一方で、管理職からは「どこまで注意していいのかわからない」「指導がパワハラと受け取られるのが怖い」といった声も聞かれる。
もちろん、ハラスメントを防ぐことは企業にとって重要な責務だ。一方で、必要な指導まで避けるようになれば、部下の育成や業務上のコミュニケーションに支障が出る可能性もある。
厚生労働省は、職場のパワーハラスメントについて、「優越的な関係を背景とした言動」「業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの」「就業環境が害されるもの」の3要素をすべて満たすものと定義している。客観的に見て、業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導は、パワハラには該当しない。
では、企業はハラスメントを防ぎながら、必要な指導をどう維持すればいいのか。ハラスメント防止研修などを手掛ける株式会社ハーモニークリエイション代表の白石恵美子氏に、現場で起きている課題について聞いた。
「注意しない管理職」が増えるのはなぜか
白石氏によれば、企業研修の現場では、管理職が部下への注意や指導に慎重になりすぎるケースがあるという。
「強く言ったらパワハラと思われるのではないか」と考え、注意すべき場面でも言葉を控えたり、本来は部下に任せるべき仕事まで自分で抱えたりするケースが見られると話す。
ハラスメント対策そのものに問題があるわけではない。
むしろ問題なのは、「厳しいことを言えばハラスメントになる」といった極端な理解が広がることで、必要な業務指示まで避けられてしまうことだ。
管理職が注意を控えれば、短期的には摩擦を避けられるかもしれない。しかし、期待される行動や業務上のルールが伝わらなければ、部下側も何を改善すべきかわからない。その結果、問題が放置され、後になって大きなトラブルになる可能性もある。
ハラスメントを防ぐことと、管理職が必要な指導を行うことは、本来対立するものではない。どこまでが適切な指導で、どこからが行き過ぎなのか。その基準を組織として共有する必要がある。
「不快に感じたら全部パワハラ」ではない
職場でよく聞かれるのが、「相手が不快に思えば、それだけでハラスメントになる」という理解だ。しかし、少なくともパワーハラスメントについては、本人が不快に感じたかどうかだけで判断されるものではない。厚生労働省の指針では、言動の目的や経緯、業務上の必要性、言動の態様、双方の関係性などを踏まえ、総合的に判断することが求められている。
そのため、業務上必要な注意や改善要求であっても、伝え方によっては問題になることがある一方、「注意されたから不快だった」というだけで直ちにパワハラになるわけでもない。
白石氏は、研修ではまずこの整理から始めるという。
管理職には、何を伝える必要があるのか、その指導は業務上必要なのか、言葉や場所、タイミングは適切かを考えてもらう。
一方、一般社員側にも、注意や指導を受けることとハラスメント被害を受けることは同じではないと説明する。重要なのは「誰が正しいか」を感情で決めることではなく、何が起きたのかという事実を確認することだ。
ハラスメント相談では「意図」と「受け止め方」がずれる
白石氏は、社外相談窓口の運営にも関わっている。相談を受ける中では、上司と部下の双方にそれぞれの言い分があり、事実確認をすると認識のずれが見えてくるケースもあるという。
例えば、ある運送会社では、一人の運転手が「短いルートばかり割り当てられ、収入に差が出るのはパワハラではないか」と訴えた。会社側に事情を確認すると、その運転手はベテランだったものの、運転上の問題から一部の取引先への出入りが難しくなっていたという。運行管理責任者は、本人の収入が大きく減らないよう配慮しながら、担当できるルートを割り当てていたと説明した。
白石氏によれば、双方が話し合い、会社側の意図と運転手側の受け止め方の違いを整理したことで、最終的には訴えを取り下げ、責任者側も説明不足について謝罪したという。
これは一つの個別事例であり、すべてのハラスメント相談が話し合いで解決できるわけではない。深刻な事案では、社内調査や第三者による対応が必要になるケースもある。
ただ、対立が大きくなる前に、事実関係と双方の認識を整理することには意味がある。
「ルールが曖昧」な職場ほど衝突が起きやすい
白石氏が組織づくりで重視する考え方として挙げるのが、「規律と愛」だ。
これは同社独自の表現で、「規律」はルールや役割、評価基準などを明確にすること、「愛」は相手への配慮を持って伝えることを指すという。
例えば、新入社員が職場のルールに反する行動をした際、「常識がない」と人格を否定するように叱るのではなく、まず何がルールなのかを明確に説明する。そのうえで、なぜその行動を変える必要があるのかを伝える。
こうした仕組みがあれば、指導する側も「自分の感覚」で叱る必要がなくなり、受ける側も何を求められているのか理解しやすくなる。
職場では世代や文化的背景、働き方が多様化している。
「言わなくてもわかるはず」「昔はこれが普通だった」といった暗黙の了解に頼るだけでは、認識のずれが起きやすい。
その意味でも、ルールや期待する行動を言語化することは、ハラスメント対策だけでなく、日常のマネジメントにも関わる。
ハラスメント対策は「何も言わないこと」ではない
企業のハラスメント対策というと、問題行為を禁止することに目が向きやすい。
しかし、それだけでは十分ではない。管理職にとって重要なのは、何を言ってはいけないかだけでなく、「どうすれば必要な指導を適切に行えるか」を理解することだ。
また、従業員側にも相談窓口の存在や、どのような行為がハラスメントに当たるのかを共有する必要がある。厚生労働省も、事業主に対して相談体制の整備や、相談後の迅速かつ適切な対応などを求めている。
ハラスメントを恐れて誰も何も言わなくなる職場も、強い言動が放置される職場も、どちらも健全とは言いにくい。
必要なのは、指導する側と受ける側のどちらか一方を守ることではなく、業務上必要な指導と、行き過ぎた言動の境界を組織として共有することだ。
ハラスメント対策を「発言を減らす仕組み」にするのか、それとも「適切に対話するための仕組み」にするのか。
企業の制度設計と日常のマネジメントのあり方が、その違いを左右することになりそうだ。
【取材協力】
株式会社ハーモニークリエイション
代表取締役 白石恵美子
https://hamokuri.jp/