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鉄道と蒸気機関車の組み合わせによって、人類はかつてなく大量に、しかも迅速に様々な物資を輸送することができるようになった。また、単に輸送機関として利用するだけでなく、時には列車そのものも兵器として戦場に投入されることがあった。装甲列車はその代表的な例である。
装甲列車とは、鉄道車両に武装と装甲を施したもので、国や時期によって装備、編成共に異なり、バリエーションは極めて多い。また、中には砲艦並みの重武装を誇った編成もあり、なかなか侮ることのできない存在だった。実戦に登場したのは、南北戦争中の1862年が最初とされているが、その後は鉄道の発展と共に装甲列車そのものも進化し、第一次世界大戦から1930年代にかけ全盛期を迎える。そして、第二次世界大戦を境に衰退したが、最近ではロシア軍が装甲列車部隊を復活させるなど、テロとの闘いにおいて再び注目されつつある。
装甲列車といってもその形態は様々だが、急造列車と正規列車に分けることができる。急造列車とは既存の貨車などを改造した武装車を中心とした編成で、正規列車の方は始めから兵器として建造された編成である。これとは別に、車両そのものの分類として動力車(機関車)と武装車の二種類があり、さらに武装車は火砲車や警戒車、司令車、兵員車等に細分化される。つまり、装甲列車とはこれらの車両を組み合わせて編成された兵器で、武装車の組み合わせによってはその能力も変化するが、基本的には部隊ごとに編成が固定されていた。
既存の貨車などから改造された車両の場合、車体を鉄板や土のう、コンクリートなどで補強し、銃眼を開けた程度のものが大半だった。だが、南満州鉄道警備隊が使用した装甲列車のように、中には70ミリ級の野砲に砲塔状の防盾まで装備した、かなり本格的な列車もあった。
また、始めから兵器として建造された編成の場合、車両は各々10ミリ程度の装甲で覆われ、火砲車は砲塔に納められた大砲を1〜2門装備していた。例えば、第二次世界大戦中にドイツが使用した装甲列車であるタイプBP44は12両編成で105ミリ砲と75ミリ砲を2門ずつ備え、さらに4連装20ミリ対空機銃を2基、その他に20丁ほどの機関銃を装備している。
当然のことながら、装甲列車は線路上しか移動できないのだが、そのかわり線路上は非常に素早く移動することができる。そのため、基本的に装甲列車は沿線のパトロールや鉄道施設の防衛といった、どちらかといえば後方任務に投入され、攻撃に参加することはあまりなかった。例えば、装甲列車がパトロール中に敵部隊を発見したとして、ゲリラや偵察部隊程度の軽装備部隊ならば自力で撃退することができるし、線路を破壊することができるほどの火力を備えた敵であった場合は、素直に増援を呼ぶなり撤退するなりすれば済むのだ。
実際、戦車や装甲車で広大な鉄道沿線をパトロールし続けるには無理があり、第二次世界大戦でも警戒正面の広すぎる東部戦線をはじめとして、レジスタンスやパルチザンが横行したフランス、ユーゴ、ウクライナなどでは、終戦まで装甲列車が活躍し続けている。もちろん、中国大陸で果てしないゲリラ戦に悩まされていた日本軍も、大規模に装甲列車を投入し、日本占領地域のほぼ全域で活躍させている。
昭和16年8月と18年4月には夜間にゲリラの大部隊を捕捉、サーチライトで照射しつつ逃げる敵兵に射撃を加えて壊滅させた。時には敵が占拠する駅に突入し、強引に突破することもあったというが、相手が軽装備のゲリラ部隊だからこそ可能な荒業だった。もちろん、ゲリラ部隊もあの手この手で対抗し、なんとか日本軍の装甲列車を撃破しようとした。特に、装甲列車のアキレス腱である線路に対しては執ような攻撃を加えていたが、単にレールを切断した程度では装甲列車に同乗していた鉄道工兵がたちまち修復してしまうので、無力化することもままならなかったという。
事実、日本軍の鉄道工兵はレールを爆破した程度の破壊工作なら、長くても数時間で線路を復旧しており、時にはわずか30分ほどで作業を終わらせてしまうこともあった程だ。さらに、ゲリラの破壊工作に対抗するため、装甲列車の前後には資材だけを積んだ無蓋車(屋根のない貨車)を連結し、万一爆破されても兵員に被害が及ばないようにしていた。当然、破壊された個所を発見した場合は、無蓋車に積んである資材を使って線路を修復するのである。
また、沿線に進出した敵に対する反撃兵力としても、装甲列車は十分な力を発揮した。ドイツによるポーランド侵攻の際には、マリノフスキ大尉に指揮された装甲列車「勇敢」がドイツ軍の装甲師団に反撃を加え、数多くの戦車を撃破してドイツ軍の攻撃を一時食い止めるといった活躍を見せている。さらに、満州では関東軍が「攻撃用装甲列車」を建造し、対ソ戦に備えていた。この攻撃用編成の正式名称は九四式装甲列車で、装備する全火砲を前方に向けて射撃することが可能となっており、極めて攻撃的な性格を持っていた。そのうえ、車軸の長さを調節することで、ゲージ(線路の幅)の異なるソビエトの鉄道上でも走行することも可能だった。 第二次世界大戦後、装甲列車は急速に活躍の場を狭め、現在ではほとんど見ることもできない。しかし、軽装備のゲリラから鉄道を防衛するという目的には極めて適応した兵器であるため、コンゴやアルジェリア、ベトナムなどの独立戦争においては、数多くの装甲軌道車が1960年代まで使用されていた。また、ユーゴ紛争においては装甲列車が実戦参加したほか、フランス軍部隊の持ち込んだ改造武装軌道巡回車が活躍したという。
各国の軍隊において、地域紛争へ対応した兵器が求められている現在。装甲列車が再び脚光を浴びる日が来たとしても、さほど不思議なことではないように思える。実際、ロシアは鉄道軍が保有していた旧ソ連時代の防衛用装甲列車を現役復帰させ、近代化したうえで再配備すると伝えられている。
紛争地域で、最新型の装甲列車を目撃する日はそう遠くないのかもしれない。
(隔週日曜日に掲載)
【記事提供:リアルライブ】