1980年代初期、東映配給により『大日本帝国』、『日本海大海戦 海ゆかば』など、長編戦争映画が相次いで制作された。今回は、その長編戦争映画連続制作のきっかけとなったヒット作、1980年制作の『二百三高地』を紹介する。

 タイトルになっている二百三高地とは、日露戦争で激戦の舞台となった旅順攻囲戦の勝敗をわけることになった丘陵の名前だ。この映画ではタイトルとなった二百三高地を中心として、当時の戦況を紹介しながら旅順での戦いを描いている。ストーリーラインとしては大きく分けて2つの視点が用意されている。第3軍指揮官だった仲代達矢演じる乃木希典大将と、第3軍の現場士官である、あおい輝彦演じる小賀武志少尉とその部下達の戦いの日々だ。内容としては戦争の経緯の説明や、旅順を攻めている間の他の地域の戦況紹介なども入っている。しかも冒頭の開戦直前以外に日常シーンなどもほぼなく、純粋で混じりっけない、骨太な戦争映画といえる作品だ。

 映画評論家の町山智浩氏が、以前にラジオで語った話によると、放映当時この映画は「戦争を美化している」とかなり叩かれていたそうだ。また、これは個人的に聞いた話だが、「日本の過去をおとしめようしている」と叩いていた人もいたという話も聞いたことがある。なぜこうも両極端な意見が生まれてしまうかというと、それはこの映画の舞台となっている、旅順要塞への攻撃の描き方が関係している。

 劇中ではコンクリートの堡塁に機関銃、各種大砲で強固に構築された陣地に、日本軍の歩兵が束になって、無謀ともいえる状態で突撃をかけ、バタバタと倒れていく。しかも、3時間超え本編時間の約半分以上の時間、この突撃がひたすら続く。その度に無駄に死んでいく兵士を見て、ある人は、第二次大戦時のバンザイ突撃や特攻を連想して「戦争を美化している」と思い、またある人は愚策を繰り返す日本軍を暗に描いていると思い、「日本をおとしめている」と思うのだろう。

 もちろん、この無闇に突撃を繰り返す日本軍は、映画の中の話だけではなく、実際に史実に基づいた再現をしている。しかし、当時の日本軍が特攻精神で突っ込んでいたかというと、これがまた違う。当時はこの戦法が「通常の攻撃手段」だったのだ。

 日露戦争というのは、機関銃や砲座で強固に構築された陣地に攻撃を仕掛けるという、本格的な近代戦を人類が初めて経験した戦争で、それまでの、横隊で歩兵同士が小銃で撃ち合うという戦争とはかなり違うものとなっていた。しかし、戦法というのはそうすぐに変えられないもので、兵器が進歩しているにも関わらず、旧来の戦術で突撃をかけ続けて無駄に死者を出す結果となった。これは日本軍に限ったことではなく、ロシア軍も日露戦争の沙河の戦いなどで、日本の機関銃で構築された陣地に攻撃を仕掛けて多大な犠牲を出している。

 もっと言えば、日露戦争の10年後に勃発した第一次世界大戦でも、日露戦争に各国が観戦武官を派遣したのにも関わらず、その戦法は変わらなかった。序盤のリエージュの戦いはもちろん、ソンム川やヴェルダン要塞、イープルなど、大戦中盤になっても、機関銃で強固に守られた陣地を突破する策は歩兵による突撃しかなく、日露戦争など比較にならない規模で膨大な死者を出していく。この状況が改善されたのはドイツ軍の浸透戦術や、イギリス軍の戦車を前面に押し出した塹壕突破が考案された、大戦後半からだ。

 そういった経緯があるわけで、この映画で描かれる戦闘シーンの数々は、特定の思想を強烈に伝えたいが為に演出されたシーンではおそらくない。実に淡々と機関銃や砲弾になぎ倒される兵士の姿を描いており、目立つのは死体の山ばかり。日本が強大な敵を痛烈にやっつけたという爽快感はない。さらに言えば、日本映画にありがちな意図して作った、明らかに現在の「歴史観・道徳観」を特定のキャラが代弁し、当時の行動を断罪するような、無理矢理感のある「反戦」のメッセージもほとんどない。戦死した兵士の親や子供の涙や、絶望した顔を淡々と流すという感じで、戦争の悲惨さは強く伝わってくるが、いい意味でそれだけだ。唯一、ラストの乃木希典の嗚咽は評価が別れるかもしれないが…。

 作品の見どころとしては、小賀武志少尉が、部下の戦死などで、人間性をどんどん失っていくところか。最初、小賀少尉はロシア文学やロシア語に詳しい、ロシア人に親近感を持つ人物として登場するが、時間を経るごとにロシア人を強烈に憎悪するようになり、段々と狂人の域に達していく。ありがちな設定といえばそれまでなのだが、戦場の異常さを表現するにはこの方法が一番わかりやすく頭に入ってくる。最初に敵軍憎しで戦い、そのうち敵も人間なんだと絶望していくのではなく、逆のパターンであることも、この旅順攻撃の泥沼感というか、ひとりの人間ではどうすることも出来ない様がよく感じられる。

 他に注目の点が、作中での乃木希典大将の扱いだ。乃木大将は明治天皇崩御の際に殉死したことや、当時はこれしか戦法がなかったとはいえ、無駄に兵士の犠牲を増やしていく指揮方針が昭和軍人の思想に近いという、後世の史観の影響力が強く、無能に描かれることが多い。しかし、この作品では、大本営の二転三転する作戦方針や海軍の強い要請に悩まされる様が描かれており、苦悩しつつも、現場の状況を冷静に判断していく姿が、かなり魅力的に映る。また、乃木との掛け合いも多い、丹波哲郎演じる児玉源太郎もいい味を出している。

 とは言っても、作中に不満がない訳でもない。まずはエキストラの兵士が銃弾で撃たれるシーンだ。まるで時代劇のように「ぐわあああ!」と踊り死にする。銃弾に当たって簡単に死ぬ演出は、98年公開の『プライベート・ライアン』以降、リアル志向に様変わりしたことは理解しているが、それを差し引いても、これは銃弾に当たった演出としてはどうなのだろうか。

 さらに、兵器の描写も雑だ。まず野砲(大砲)について、当時の野砲は、砲身を後座させることで、反動で後退しなくなった、「駐退復座機」ではないので、野砲ごと後ろに後退するのだが、その演出が一切ない。旅順要塞や旅順港砲撃で活躍した二十八センチ榴弾砲も同様で、これまた後退するシーンがない。全部無反動砲のようで激しい違和感だ。

 他にも、ロシア軍がマキシム重機関銃と、雷管を備えた手榴弾で待ち構えるが、日本にはそれらに相当する装備がなかったという説明が劇中の冒頭にあるが、これも疑問だ。まず、雷管式の手榴弾だが、これが本格的に実用化されるのは第一次世界大戦から。それも、日本軍が日露戦争で陣地攻撃にダイナマイトや缶詰を使って作った、急造の手榴弾を使い始めてその有効性に気づいたからだ。ロシアもその威力の高さに着目して、戦場で急造手榴弾をつくり始めた。

 さらに機関銃だが、確かにマキシム重機関銃は持っていなかったが、そのかわりにフランスのホッチキス Mle1897重機関銃をライセンス生産した、保式機関砲を使っている。機関銃がない訳ではないのだ。ただ、当時は持ち運びに便利な軽機関銃が登場していないので、要塞や陣地を攻める側はなかなか機関銃を有効活用できない。後の戦争のバンザイ突撃などの影響で、日本軍は白兵戦至上主義だと思われがちだが、実は日露戦争はおろか、その後の戦争でも火力制圧を重視していた。なので、機関銃や迫撃砲、手榴弾を使いはじめるのもかなり早かった。

 意図してか、ただ雑だったのかは不明だが、この冒頭の説明が、粗末な装備で突撃させちゃいましたというミスリードとなっている。ここが変な思想があると思われてしまう原因ではないだろうか。迫撃砲の元祖ともいえる花火筒型の急造迫撃砲は使っているのに、なぜ他の兵器の考察は雑なんだ、もっとよく調べてくれよと言いたい。

(斎藤雅道=毎週金曜日に掲載)

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