【写真】映画の主演を務める小八重葵美(右)と西川美和監督は笑顔を見せる(撮影・増田悦実)

作らずには、いられなかった。西川美和監督(52)は、思い立った6年前に実現しないと思っていた1本の企画を、原案から考え、小説を執筆、出版し、映画「わたしの知らない子どもたち」(公開中)として完成させた。タイトルの“わたし”とは、自分自身。終戦から81年たった現代に、監督自身が“知らなかった子どもたち”戦争孤児を調べ、1本の映画を作り、世に放ったのは、なぜなのか。作り上げた映画を世に放ち、伝えたいことは何なのか…。【村上幸将】

★放っておけば忘れられる

取材部屋に入ってきた西川監督に開口一番「なぜ、ここまでやらなければ、いけなかったんですか?」と投げかけると、その答えは、実にシンプルだった。

「どこから手を付ければ良いか、分からないモチーフだったので、まず原案を書いてみよう、というところから始まったんです」

主人公の茅野琴子(小八重葵美=こやえ・あみ)は、音楽家の父孝一(竹野内豊)の元で育った12歳。聖戦完遂のためと主張し、難色を示す父を押し切る形で集団疎開した。終戦後、上野駅に戻るも父の姿はなく、焼け野原となった東京で女の子の身1つでは危険な中、同じ身の上の新谷将吉(羽山由一郎)らと出会い「吉田茂男」と名乗り、男の子として生きていくことを決める。戦争孤児に関心を持ったのは、21年の前作「すばらしき世界」の原案となった佐木隆三氏の90年のノンフィクション小説「身分帳」の主人公には実在のモデルがおり、戦災孤児だったからだ。

「彼(役所広司が演じた、出所した元殺人犯の三上正夫)の幼少期から全部、描ければ良かったですが、2時間の映画には詰め込めない。でも、そういう人たちが暴力、犯罪、裏社会の構成員になっていった背景に戦争、戦後があったのかなと引っかかっていた。(コロナ禍の)20年に、音処理を残すのみで製作が停滞したので、もう一度、孤児について調べ始めました」

戦争体験者の数が減少の一途をたどる上、コロナ禍の厳しい中、孤児体験のある80代女性3人を取材し、資料の調査を徹底した。作品の製作へと踏み込んでいった動機は、原爆が投下された広島出身という出自とは別のところにあった。

「研究者の資料、冊子になったりはするけれど、多くの人がなかったことのように忘れていくんだろう…放っておけば忘れられる、子どもたちの物語を残したい感覚だった。(22年2月の)ロシアのウクライナ侵攻以降に、これだけ大きな戦争が起こっても止められない状況が来た。民間人や子どもが襲われてはならないという秩序が簡単にひっくり返され、無に帰するんだなと。戦争を知らない世代でも、戦争が何をもたらして、人の暮らしがどうなるかについて、繰り返し、新しい物語を作っていく意味は、あるのかも知れないと思うようになりました」

★代弁者とかはないんです

女の子が男の子として生きていく物語にしたのも、忘れられかねない歴史の一面を描く狙いがあった。

「『身分帳』から得たアイデアですし、男の子の物語になるのかなと思いました。ただ、資料を読んでいて、女の子が町に暮らす中で暴力に遭う機会が多く、当たり前のように売春をしていた話が出てくる。施設に連れて行って、お風呂に入れようと服を脱がせたら、女の子が男の子のように髪を切っていたのが分かった話もいくつかあった。ともすれば性暴力にさらされる状況の中、女の子がどうサバイブしたかという物語を描こうと思ったわけです」

二階堂ふみ(32)が演じた琴子の疎開先の教師・曽根文美子も、敗戦で婚約者と教師という立場を失う。帰京後、琴子の行方を捜す一方、生まれたばかりの子どもを預かってくれるからと働いたダンスホールは、表向きは進駐軍の社交場ながら実態は慰安所だった。史実を検証し、原案小説で踏み込んで描いたことは、現代にも通じると訴える。

「今とリンクするところも、やっぱりあるんですよね。働きながら子どもを抱えることが、どれだけ大変かは全く、今日的なこと。私は子どもはいませんけど、非常によく分かる。職を失ったり生きる糧をなくした女性が、子どもを預かってくれる仕事を選んでいくという感情は、現代の女性が抱える切迫感と差がないんじゃないか。今の感覚で書いてもズレがない、という感覚が、あったかも知れない」

女性監督でなければ、ここまで機微を描くのは難しかったのでは? と問いかけると、やんわりと言葉が返ってきた。

「自分が女性だから、女性を描かなきゃ、とか自分が代弁者として、とか、ないんですね。その時に合ったモチーフの性別を選んでいるので」

琴子や将吉が、闇市を束ねる新興のヤクザ・菊沢組の親分・菊沢徹(岡田准一)から仕事をもらい、日々を懸命に生きるシーンも、現代に通じると強調する。

「子どもたちが、目先のお金ほしさに何となく稼げる仕事に手を出したり、何をさせられているか分からないで闇バイトにツッコむのも、あまり変わっていないのかな。弱い者が何となく亡き者にされていく感じ。昔、あったことをひもといて女性、子どもの資料を読むと、この国があまり変わっていないのが分かります。怖いな、とも思いました。結局、繰り返していくし国も、人類も変わらないという絶望感もあります」

路上生活の中、警察や民政局に追われると逃げ、収容所に入れられると脱走する琴子らの姿には躍動感があり、冒険エンターテインメントとしても成立している。

「そこは大事にしました。どうやって今を打開していいか分からないコロナ禍の時に、寓話(ぐうわ)性のある楽しいものを私自身、スクリーンで見たいと思った。同時に戦中・戦後という重たいテーマを背負わなきゃいけないバランスを、どう紡ぐかが難しいところでした」

★今後は「全くノープラン」

今後について聞くと…。

「1本、1本なので、実は今、全くノープラン。何が今、面白いか初心に戻って考えたい。この流れで昭和中期を、もう1回、勉強したいのもある。より、さかのぼる手もあるし、今回の後の時代をやってみるのもある。自分の中から物語が出てくるよりは、知っているようで知らないことを知るために、映画を作る感覚になってきました」

初めて戦争をテーマに描き、作家として新たな地平に一歩、踏み出した。

▼茅野琴子役で映画初主演の小八重葵美(13)

監督は「この時、琴子はどう思っていると思う?」と聞いてくれて、一緒に答えを探してくれる感じが、気持ちも作りやすく、お芝居もしやすかったです。(お風呂に入るシーンで服を脱ぐ芝居は)監督から「もう、大人のことを信用していないような(琴子としての)気持ちを作ることができる?」と聞いてくれて。すごく緊張したけれど、琴子が、そう(女の子として)生きていくと決めたシーンなので、やらないといけないと頑張りました。

◆西川美和(にしかわ・みわ)

1974年(昭49)7月8日、広島県生まれ。早大第一文学部を卒業し、99年の是枝裕和監督の「ワンダフルライフ」にスタッフとして参加。助監督などを経て02年「蛇イチゴ」で監督デビュー。06年「ゆれる」で、ブルーリボン賞監督賞などを受賞。同作の小説は三島由紀夫賞候補。09年の映画「ディア・ドクター」の脚本執筆時に行った取材から生まれた連作短編集「きのうの神様」、15年には「永い言い訳」が直木賞候補。同作は山本周五郎賞の候補にもなり、16年に映画化された。

情報提供元: 日刊スポーツ_芸能
記事名:「 西川美和監督は知らないことを知るために映画を作る 戦争孤児の物語を世に放ち伝えたいこと 」