山下達郎73歳、「JOY3」、「シアター・ライヴ」第2弾「生きている時にまとめておく」
シンガー・ソングライター山下達郎(73)が14日、37年ぶりのライブ・アルバム「JOY2」をリリースした。ライブ活動を6年ぶりに再開した2008年(平20)から25年までの18年間で実施した、13本の全国ツアーの600を超える公演から、自ら厳選したベスト・オブ・ベストテイクをまとめた。山下が日刊スポーツのインタビューに応じ「JOY2」発売までの経緯、製作の裏側を語った。後編は「JOY2」の制作過程、経緯を語る。【村上幸将】
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1989年(平元)の「JOY」から、37年の時を経て結実した「JOY2」。その制作に着手できたのは、技術の革新が大きかったという。できると踏んだのは22年にリリースした11年ぶりのオリジナルアルバム「SOFTLY」の制作時だった。
「ライブ・レコーディングは、その時代のハード、ソフトに依存しなきゃならないので、常に一定程度の限界がある。10年前だったら、このミックスはできませんでした。『SOFTLY』を作った時に、これだったらいけるかな、って思ったんですよね。2010年代は、まだ音に不安があって無理かなと。(ライブの)量が多すぎて妙に忙しかったこともあって。幸運なことに一番、良いタイミングで作れましたね」
では、どのように作り上げていったのだろうか?
「まず(公演での演奏)データをアーカイブスした上で、OKテイクを作らなければいけない。08年から25年までの17年間だけで、公演数は600ちょっと。正式レコーディングしているだけで96日分ある。1公演、20数曲としたら2000曲くらいあるんですね。その中から、何の曲を、いつの公演から選ぶか。それを選ぶだけで、数カ月かかった。まとめたら全部、デジタルデータとしてアーカイブスする。今回は(通常のCDの2倍強のデジタル情報が入るハイレゾ音源の)96キロヘルツ、32ビットのフォーマットに全部、そろえないといけない。結構、時間がかかるんですが、僕がライブをやっている間にエンジニアが形をそろえてくれて、僕は(25年)12月頃からチェックを始めました。まず、OKテイクを決めないといけないので」
OKテイクを1曲、決めるまでのプロセスは、精緻(せいち)のひと言に尽きる。
「前の『JOY』を作った時から、次作のライブを作るということは、想定していたので、その日の公演が終わったら、総括を必ずメモしておくんです。例えば『RIDE ON TIME』で、今日は(演奏が)良かったとか、歌が悪かった、声がひっくり返った、どこか(歌詞を)間違えたとか。それを大まかでも記録しておいて、今回はそれを元に、候補曲を出しました。『RIDE ON TIME』だと(候補の音源が)21テイクあったので、それを聴き直して、点数をつけて、問題点を書き出して、2、3テイクまで絞り込んだ段階で、仮ミックスを作ります。演奏の状態をチェックして…そうしたら、意外と去年のヤツが良くてOKになったとか(笑い)全曲、そんな感じで評価を出してやっています」
難しかったポイントは、どこだったのだろうか?
「難しいのは、何の曲を入れるかより、いつのテイクを入れるかが時間かかるので、今年の6月まで半年かかりました。それと並行してミックス(仕上げ)をやって、曲順もやらなければいけない。最終的に、どこの公演の何の曲を、Disk1の何曲目に入れるかを最終的に決めたのは6月中旬。そこから細かい音像の調整をやって。例えば『WINDY LADY』は、前の曲よりも、ちょっとレベルを…とか、歌が前だとか、後ろ、とか…」
「JOY」を作った時、次はこうやりたい、ということを「JOY2」で形にしたのか? と問いかけると、否定した。
「『JOY』の時は、そんなことは想像もつかなかった。あの頃は、まだデジタルといったって、テープレコーダーだから。(『JOY』は)80~88年までの音源で、前半はアナログなので、アナログをアナデジ(デジタル変換)して。後半は、デジタルレコーディング。そんなにソースがないから、少々の不満は諦めるしかない。ミックスするにも限界があるから、半分諦めて決定したソースが『JOY』に入っていて。でも、運が良いことに、基本的に同じメンバーで同じ編成でやっている。これがオーケストラが入ったり、ドラムやベースが違うと、大変なことになる。変わらないで全部やっているので、できるんです。あとは、全体を俯瞰(ふかん)してチェックできる人がいないと。その点は、自分自身がバンマスなので」
デビュー50年だった25年は、SUGAR BABE唯一のアルバム「SONGS」の50周年記念盤「50th Anniversary Edition」と、2年ぶりのダブルA面シングル「オノマトペISLAND/MOVE ON」をリリース。そして、ソロ50周年の今年、ついに「JOY2」を完成させた。さらに「JOY3」に今年、再アンコール上映された12年の映画「山下達郎シアター・ライヴ PERFORMANCE1984-2012」の第2弾の制作にも着手している。73歳で、これほどまでに精力的に動く原動力は、どこにあるのか?
「一種の終活ですからね。だって今、作っておかないと、死んでからやられても、しょうがないじゃないですか。やっぱり、生きてる時に、まとめておこう、というのがあります。全体を知っているのは、既に僕1人。全貌(ぜんぼう)を理解できているのは、僕しかいませんから、自分で解釈するしかない。この18年、どこで何をやっているか、自分しか知らないわけですから」
日本のロックの第二世代として、ニューミュージック、J-POPと呼ばれ、今や世界各国でシティー・ポップと呼ばれる日本の音楽を作り、支えてきた。その立場から思うことは? と問いかけると「全然、作っていないですから。傍流です。生き残っているだけですから」と照れ笑いを浮かべる。そう口にしつつ、胸に秘めた音楽、パフォーマンスへの強い思いを吐露した。
「終活…だって。あと2年で後期高齢ですからね、私。73歳ですよ。だけど、三波春夫さんが72歳の時のライブを歌舞伎座で拝見して、あと、(米国のミュージシャン)スモーキー・ロビンソン(86)が72歳の時のライブも見て、ああ、彼らのように僕もがんばろう、と思ってたら、もう、その年を超えちゃいましたからね(笑い)。一応、成立しているかなと思います。ありがたいことに、新譜を出せているのが大きいですね。CMのオファーも、むしろ増えてきていますし」
日本音楽界において唯一無二の匠・山下達郎は、まだまだ歩みを止めることはない。