玉川徹氏「倉本聰さんはテレビ局にこびていない」訃報受け追悼「私もテレビの人間ですが…」
元テレビ朝日社員の玉川徹氏は29日、同局系「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜午前8時)に生出演。「北の国から」など数多くのドラマで知られ、今月18日に多臓器不全で亡くなったことが28日に公表された脚本家の倉本聰(くらもと・そう、本名山谷馨=やまや・かおる)さんの訃報(ふほう)を受け、倉本さんとテレビの関係について、私見をまじえてコメントした。
番組では、生前の倉本さんのインタビューや、倉本さんが脚本を担当し、同局系で17年に放送されたドラマ「やすらぎの郷」のワンシーンなどを伝えたほか、倉本さんが拠点とした富良野とのかかわりなどについても報じた。
火曜コメンテーターを務める元フジテレビアナウンサーの菊間千乃弁護士が、倉本作品についての思いを述べた後、見解を問われた玉川氏は「個人的に北海道が好きな理由の2、3割は、倉本さんのおかげなんじゃないかなと思うんです。『北の国から』をはじめそういうふうなものがどうも、やっぱりしみ込んでいるからだと思う」と口にした。
倉本さんは、脚本を担当していた1974年のNHK大河ドラマ「勝海舟」を途中降板し、その後北海道に向かった経緯がある。玉川氏は「なんで北海道に行ったかというと、挫折なんでよね。その時、40歳を超えていらっしゃった。『負けた者は北に行くんだ』というふうに友人に言われたらしく、それで札幌に行ったらしい。貯金をつぶして生きている中で北海道の人の温かさに触れて、北海道に住もうと思ったところから、北海道だと。それで自分が再出発をする時、最も厳しいところに住もうと思って富良野だったらしいんです」と語り、「富良野は夏は結構暑く、冬はものすごく寒い。北海道の中でいちばん厳しいところに行こうとして選んだのが、富良野だったということなんですよね」とも述べた。
さらに「でも、負けて北に逃げて、そこで落ちぶれちゃう人も多いはずじゃないですか。でも、本物はそれをさらに糧にするんだよね。糧にして、あの素晴らしい作品をどんどん生み出していかれた」とも訴えた。
この日の放送では、倉本さんと長年の親交があり、「やすらぎの郷」シリーズにも出演した女優の加賀まりこが、「一本、貫いているものがあった」「常に、書きたいものはご自分の中にあるものしか書かないという。テレビ局の要請に応えてという仕事の仕方は全然していなかった」と、倉本さんの仕事のこだわりについて語ったコメントも紹介された。これに玉川氏は「倉本さんは、テレビ局に、やっぱりこびていないんです」と言及した。
「こびるって何かというと、私もテレビの人間だけど、視聴者にこびるんですよ、数字をとりたくて。でも、そういうものって結局、だめなんだよね。自分が本当に伝えたいものとかをやっていかないと、テレビは絶対だめだと思っている」とした上で、「自分が伝えたいとか、これは面白いと、思うものを伝えていく道しか、テレビが生き残る道はないんだけど、一生を通じて、倉本さんはそういうふうな仕事をされたなというふうに思う」と、敬意を示すようにしのんだ。