武井壮の亡くなった兄は…付き人務めたタレントがNHKで称賛メッセージ 壮は遺志継ぎ芸能界へ
タレント武井壮(53)が、22日放送のNHK「ファミリーヒストリー」に出演。24歳の若さで亡くなった兄の情さんが付き人を務めていたタレントから、VTRメッセージが送られた。
さまざまな著名人のルーツなどをたどる、不定期放送の人気番組。武井は、両親の離婚後、母と生き別れとなり、小学校の途中から、情さんとの2人暮らしとなったことを明かした。
番組では父方の高祖父の居住地、上越市南城町をたどり、先祖が越後・高田藩の武士と判明。父の司さんは集団就職で上京し、母の京子さんに一目ぼれして結婚した経緯などが紹介された。
1970(昭45)年に結婚し、翌年に長男の情さん、73年には壮が誕生した。父の美容店の経営は順調だったが、女性客からの人気もあり、徐々に生活が派手に。客からベンツが贈られたこともあったという。父の生活ぶりを「客の女性と親密になり、妻と子供から遠ざかっていきました」と赤裸々に伝えた。
残された京子さんは子供2人の面倒を見ていたが、夫婦仲は限界に。壮は「あきらかに大げんかしている音が…寝ている僕らの、ふすま1枚で仕切られているので、ガシャーンと、なって。『女に子供なんか育てられるわけないだろ!』とか『ふざけんな!』とか。怖くて、僕らも耳をふさいでふとんに潜っていて」と語った。
ある日、京子さんが実家に帰るため、壮と情さんは東京駅に連れられていった。1週間の帰省のはずだったが、京子さんはおえつしながら「壮ちゃん、ごめんね」と言葉を残したという。後になって離婚したことが伝えられ、この日が母と最後に会った日となった。
その後は兄弟2人の生活に。父の司さんは時折、生活費を置いていったが、十分ではなかったという。壮はゴミ出しの代行などを行って生活費を稼ぎ、学費免除のため勉強を続けた。情さんの友人も登場し、電気・ガス・水道が止まっていたことがあったことも明かされた。
兄の情さんは、中学を卒業後、弟の学業を優先するためレストラン勤務をへて、夢だった役者の道へ進んだ。色紙には「俺は日本のマイケル・J・フォックスになる」と書いていたことも。エキストラなどの出演を重ね、20歳の時には「俳優になる足掛かりにと、ある芸能人の付き人になりました」と紹介された。
ここで、タレント坂上忍がVTRで登場。スタジオの壮はのけぞり、MCの今田耕司も「えー!」と声をあげて驚いた。
坂上は「僕が草野球チームをやっていまして、俳優の金山一彦君とかも入っていて、その試合に金山君が連れてきたんでね、情を」と出会いを説明。「野球めちゃめちゃ上手くて、チーム入れてくれない?みたいな」と振り返り「例えば野球やってて、三振しても、笑顔で『すいませんでした!』って言って、とにかく笑顔。屈託がないというか、上下関係もちゃんと分かっているし、明るいし、かわいがられる要素100点満点の子ですね」と人柄を称えた。「夢への一歩」として、情さんが出演したVシネマ「ヘイ!オイラーズ~甦るスカイライン神話」(92年)の映像もオンエアされた。
そんなある日、壮のもとに、父の司さんから、情さんがガンを患ったことを伝えられた。病室の情さんは日に日に衰えていき、「お母さんに会いたい」という願いもかなわないまま、95年8月、24歳で亡くなった。
壮は当時の心境を回想。「(兄が)芸能人になる、という途方もない夢を少し叶えだしたころに、人生が終わりだ、という状況になってしまっているんで、そんなことあるかよ、っていう。神様なんかいねえな、って、半分自分が死んだみたいな気持ちになっちゃって」と神妙に語った。壮は高校卒業後、奨学金で神戸学院大に進学し、陸上に打ち込んでいたが、「そのまんま僕だけ体が強くなって、僕だけオリンピックに出て、とか、鍛え上げた肉体で、何かスポーツ界で成し遂げただけでは、埋められるものじゃなかった」と回顧。「20代は目いっぱいスポーツをやる。30代からは、兄貴ができなかった芸能の続きを、俺がやる」と決意したとし、24歳で日本陸上選手権の十種競技で優勝すると、ゴルフ留学やスポーツトレーナーをへて、30代になって芸能活動にシフトした経緯が紹介された。
番組では、母の京子さんが、昨年12月に76歳で亡くなっていたことも判明。再婚し、穏やかな晩年だったと伝えられると、壮は涙を流して感謝した。