吉永小百合が「丸の内TOEI」最後の日にサプライズ登壇 20本の舞台あいさつ振り返り涙
1960年(昭35)9月20日に東京・銀座に開館した映画館「丸の内TOEI」が27日、本社ビル・東映会館の再開発と本社移転を受けて閉館した。
グランドフィナーレには、上映された1980年の映画「動乱」(森谷司郎監督)でヒロインを務めた、吉永小百合(80)がサプライズで登壇。同作をはじめ20本の映画の舞台あいさつに立った日々を振り返り「本当に、すてきな、すてきな劇場で、なくなってしまうことは…つらいです」と涙声になった。
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吉永が、21年6月1日に行われた主演映画「いのちの停車場」(成島出監督)全国公開記念舞台あいさつ以来4年2カ月ぶりに丸の内TOEIの舞台に帰ってきた。上映された「動乱」は、吉永にとって東映の実写映画に初出演した作品。14年11月に83歳で亡くなった高倉健さんとの初共演が実現し、自身の映画作りを支え続けながら20年11月に71歳で急逝した元会長の岡田裕介さんがプロデューサーを務めた特別な1本だ。
吉永は「私が初めて、この劇場でごあいさつしたのは80年1月15日。『動乱』の初日でした」と感慨深げに振り返った。大人の役に挑戦しながらも、苦悩を深めていた中、他の仕事を入れずに1年「動乱」の撮影に全てをささげ、高倉さんから刺激を受けた。「最後に高倉さんと2人の刑務所のシーンを取り終え、真夜中にお食事に誘っていただき健闘をたたえ合った。もう1度、映画俳優として頑張っていこうと思えました」と、自身の映画俳優人生を決めた瞬間を明かした。
つらかった出来事も振り返った。コロナ禍の中、開催された21年5月22日の「いのちの停車場」公開記念舞台あいさつは、東京都が映画館に独自の休業要請を出し無観客開催を強いられた。「1番、つらかったのは東京で上映してはいけないと言われたこと。悔しかった。『スクリーンから飛沫(ひまつ)は飛びません』と過激なことを申し上げました」と振り返った。
東映ではアニメを含め20本の映画に出演し、舞台あいさつに立った。公開するたびに、動向を知ろうと観客の1人として客席に何度も座った。「窓口で切符1枚買って後ろに座り、皆さまが笑うかしら、しんみりなさるかしら? と感じながらで見たこと、忘れられません」と声を震わせた。
吉村文雄社長(60)は、第1回上映作品が大川橋蔵さん主演の「海賊八幡船」(沢島忠監督)と説明した上で「震災もありコロナもありましたけど、映画を上映し続けて参りました」と涙声で感謝した。【村上幸将】
○…閉館を前に、開館前日の65年9月19日に行われたこけら落としと、開館当日同20日のもようを収録した、10分間の「東映会館落成記念映画」が発掘された。「さよなら丸の内TOEI」に先だって3月28日から開催された「昭和100年映画祭」に向けて、過去の資料を探している中で見つかり、「さよなら丸の内TOEI」期間中に限定で幕あいなどに上映していた。
こけら落としの際は、丸の内東映(現丸の内TOEI1)のステージに、北大路欣也の父・市川右太衛門さんをはじめ、片岡千恵蔵さん、中村(萬屋)錦之助さん、大川橋蔵さん、東千代之介さん、大友柳太朗さん、月形龍之介さんら、東映時代劇スターが勢ぞろいし、口上や舞を披露。扇子を手に、八千代獅子を舞う美空ひばりさんの姿も映っている。壇上で音頭を取った右太衛門さんは「東映も躍進に躍進を重ねまして丸の内の繁華街に立派な東映会館ができた」と語っている。丸の内東映パラス(現丸の内TOEI2)で開かれた祝賀パーティーの映像には、ドリンクを飲む高倉健さんや歓談するひばりさんらの姿も映っている。
日本映画、芸能史における貴重な資料だが、関係者によると今後、一般に公開するかは未定だという。
○…「動乱」の最終上映が午後7時20分ころに終わると、館内から拍手が巻き起こった。吉村社長は扉の脇に立ち、出てきた観客1人1人に感謝のあいさつを続けた。観客の中には、丸の内TOEIに向かって深々と一礼する人もいた。劇場前の歩道には約300人が鈴なり状態で丸の内TOEI最後の姿を見守った。5月9日から80日間で100作超の名作を上映した「さよなら 丸の内TOEI」は、4万6120人を動員し、興行収入7761万8400円を記録した。
◆丸の内TOEI 東映本社・東映会館の落成とともに丸の内東映と洋画封切館・丸の内東映パラスとして開館。04年10月には現行の丸の内TOEIに名称統一し2スクリーンを構える。24年5月15日に、東映会館の老朽化を理由に、今夏をめどに再開発することを発表。今年1月16日に同所で開催した東映ラインナップ発表会で、正式な閉館日(最終営業日)を7月27日とし、最後の直営館として約65年の歴史に幕を下ろすことを発表。5月9日から「さよなら 丸の内TOEI」プロジェクト上映がスタートした。