「いつの間にか俳優になっていた」78歳大物「夏休みに山」の誘いで大スターに預けられる
俳優、歌手の寺尾聰(78)が24日放送のTBS系「人生最高レストラン」(土曜午後11時)に出演。俳優になったきっかけを振り返った。
1968年の映画「黒部の太陽」を石原裕次郎さんが独立して作ろうとしていた際、大手映画会社が引き抜きなどを防止するために結んだ「五社協定」があったため、各社から「うちの俳優は貸さない」と言われたことを説明した。ただ寺尾の父で戦後を代表する名優で劇団民藝の創立者、宇野重吉さんが、裕次郎さんと懇意にしており「しょっちゅう、うちにも顔出していただいたりしてたもんですから」と、劇団民藝の俳優が「黒部の太陽」に出演することになった経緯を話した。
続けて「突然、『お前、ちょっと来い』って言われて『何?』って…。役者やるつもりないから、夏休みに山に行けるみたいだ、って話で…」と父との会話を振り返りながら、行き先が「黒部峡谷」だったことを明かした。実際に行くと「『ちょっと、これ(役者)やれ』みたいな」と、突然の役者人生の始まりを回想した。
そして「だから死んだおやじは心配だったんでしょう。こんな学校もろくに行かないヤツは将来どうなるか。で、裕次郎さんのとこに預ける、みたいな形でなったんですよ。それで最初は、俳優なんてできねえよって言いながら、何かムニャムニャしてるうちに、いつの間にか俳優になっていた」と語った。