北大路欣也(82)が11日、東京・丸の内TOEIの閉館プロジェクト「さよなら丸の内TOEI」の一環として行われた1973年の映画「仁義なき戦い 広島死闘篇」(深作欣二監督監督)上映後舞台あいさつに登壇した。席上で、当初、主演は21年8月に82歳で亡くなった千葉真一さんが務める予定だったが、クランクイン10日前に北大路が役の交代を求め、入れ替わったエピソードの事実を認め、当時の舞台裏を明かした。

北大路は劇中で、主人公の村岡組の若衆・山中正治、千葉さんは大友組の大友勝利を演じたが、当初は2人の配役は逆だった。北大路は73年公開のシリーズ第一作を、本土返還翌年の沖縄へ仕事に行き、見たという。「返還まもなくで、僕にとってはある意味ショック。こういう、環境で沖縄の方がすごされていたんだと。その中、上映されている、見ないと…と思い、見た。何という…激しい波動に揺さぶられましたね。戦後の雰囲気が、目の前にあるわけじゃないですか」。その思いがあり「第2部を撮るなら、参加したい、何とも言えない雰囲気を自分も経験したい、ぜひ出してくださいと監督、プロデューサーにお願いしました」と出演を直訴したという。

司会のフリーアナウンサー笠井信輔(62)から「大友をやる予定が決まっていた。それが交代。千葉真一さんが大友に」と聞かれると「私は、山中の人生と大友の人生を感じながら台本を読ませていただいた。千葉さんは、6年前『海軍』という初の現代劇で共演し、波動を感じた。大友を読むと千葉さん、山中を読むと自分が出る」と、台本を読んで千葉さんと自分の配役が逆ではないかと感じたと振り返った。その上で「僕としては、山中をやりたい。千葉さんは承知してくれないと思うけれど、と」と続けた。

クランクイン10日前であり、千葉さんはセリフを入れ、役作りも済ませていたことは想像に難くなく、笠井から「難色を示した主役交代?」と質問が出た。北大路は「当然だと思います」と即答。その上で「これれは(第1作を73年に見た)沖縄から連なり…思いは正直です」と、交代を申し出た本心を振り返った。

今、交代を申し出ることができるか? と聞かれると「そんな無礼なこと、できないじゃないですか?」と笑った。そして「(当時は)言ってもいいんじゃないか? という気がしていますよ」と振り返った。当時の千葉さんの様子を聞かれると「目を合わせると、ガッとにらまれた。目を合わせるのも怖いくらい」と笑った。

それでもクランクインから10日後に。深作欣二監督に呼ばれ「交代は正解だった」と言われたと振り返った。「良かったぁと。『海軍』でご一緒し、現代劇が初めてで、千葉さんはリーダーシップを取って、僕にいろいろなものを与えてくれた。こういう出会いがあったので、飲んでくれたんだと思いますよ」と続けた。

丸の内TOEIは、1960年9月20日に、東映本社の東映会館の落成とともに丸の内東映と洋画封切館・丸の内東映パラスとして開館。04年10月には現行の丸の内TOEIに名称統一し2スクリーンを構える。そして24年5月15日、東映会館の老朽化を理由に、今夏をめどに再開発することを発表。今年1月16日に同所で開催した東映ラインナップ発表会で、正式な閉館日(最終営業日)を7月27日とし、最後の直営館として約65年の歴史に幕を下ろすことを発表した。そして9日から「さよなら 丸の内TOEII」プロジェクト上映がスタートした。

情報提供元: 日刊スポーツ_芸能
記事名:「 北大路欣也「仁義なき戦い 広島死闘篇」撮影10日前に千葉真一さんとの主演交代 舞台裏明かす