大宮エリーさん(2016年5月撮影)

画家で作家、アーティストの大宮エリーさんが23日に病気で死去したことが27日、所属事務所から発表された。49歳だった。葬儀、告別式は近親者のみで執り行う。

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作家、脚本家、エッセイスト、映画監督、舞台演出家、CMディレクター、コピーライター、ラジオパーソナリティー、そして画家。マルチに才能を発揮した大宮さんが亡くなった、数日前からうわさが流れていたが、本当だった。

9年前に大宮さんをインタビューした。水彩画のライブペインティングをやるというので「いろいろ肩書があるけど、本当は何者なの」と聞いてみた。大酒飲みで知られ、数々の失敗談もあるが「お酒を飲むと雑念が減る」と、その効用を口にした。

理系の東大薬学部を卒業していたが“リケジョ”とは一番遠いところに立っていた。数学が苦手で「数学がO点でも入れる大学を探して」と進路指導の教師に頼んで、勧められたのが東大だという。「東大は数学の入試問題が難しすぎて、ほとんどみんなできないんですよね」と笑っていた。。

就職活動で33社に落ち、最後に電通に合格した。CMプランナー、コピーライターとして働いたが、会社に行くのが苦手でカフェで仕事をしていた。今なら立派なリモートワークだが、上司から「君は組織に向いていない」と言われて30歳で退社。

その才能を買われて、映画監督、エッセイスト、脚本、演出とさまざまな仕事を引き受けた。「やりたくなくても、家賃は払わなくちゃならないから、来た仕事にしがみついていました」と説明してくれた。

自身の華麗な経歴を振り返って「頼まれて書いた職歴リポートみたいなもの」と笑った。電通勤務だったことも、東大卒も自分からは言わなかった。「東大って思われて、頭いいと思われても、ガッカリさせると悪いと思って隠してた」と口にした。

さまざまな経歴の中で、一番嫌だったのがバラエティーの放送作家の仕事だった。「なんかアイデアを出せるんじゃないかと思われて、放送作家陣の1人として起用されたんです。だけど、つまらない会議を延々と長い時間やるだけで耐えられなかった」と話した。

インタビューした時は40歳。結婚願望について「ありますけど、普通に。ずっと思っていたけど、気が付いたらこんな年になっちゃって。あれ、どのタイミングで本気出せば、よかったんだろう、みたいな。婚活って、どうやったらいいか分からない」と話していた。

大宮さんは、他人が見つけてくれる自分自身の才能の大きさを持て余しているような感じだった。

まだ、40代。早過ぎる。ご冥福をお祈りします。

◆大宮(おおみや)エリー 1975年(昭50)11月21日、大阪府生まれ。99年(平11)東大薬学部卒業後に電通入社。コピーライター、CMプランナーとして活動。04~12年にNHKドラマ「サラリーマンNEO」に脚本家として参加。06年に独立して「大宮エリー事務所」設立。同年の短編映画「海でのはなし。」で映画監督デビュー。11年にニッポン放送「大宮エリーのオールナイトニッポン」を担当。12年に個展「大宮エリー『思いを伝えるということ』展造形と言葉のインスタレーション」血液型A。

情報提供元: 日刊スポーツ_芸能
記事名:「 【悼む】大宮エリーさん「ガッカリさせると悪いと思って」東大、電通…隠していた華麗な経歴