母校の早大の人気授業「マスターズ・オブ・シネマ」の講義にゲストとして登壇した「敵」の吉田大八監督(撮影・村上幸将)

3月のアジア全域版アカデミー賞「第18回アジア・フィルム・アワード(AFA)」で監督賞を受賞した映画「敵」の吉田大八監督(61)が19日、母校の早大の人気授業「マスターズ・オブ・シネマ」の講義にゲストとして登壇した。

早大第一文学部を卒業した吉田監督は、演劇を専攻し映画史を学んだ。映画を見る習慣がついたのは、故郷・鹿児島から予備校に通うために上京してからだといい「上京して1年間、予備校に通った時。テレビっ子だったもので、下宿にテレビがない。たまたま、近くの名画座に通うようになってから映画を見る習慣が付いた。すぐに映画を作りたくなった」という。早大には映画を自主製作し、そのままプロになった人材もおり「早大に入って、そうなればいいなと予備校にいる時、そんなことばかり考えていた。受験勉強のモチベーションになった」という。早大入学後は、大学公認サークルの「ひぐらし」に入り、8ミリフィルムで映画を撮っていた。

この日の講義を担当した法学部の谷昌親教授は、履修する学生に吉田監督の17年「美しい星」、18年「羊の木」、そして24年11月の東京国際映画祭で、主演の長塚京三(79)が最優秀男優賞、吉田監督が監督賞、作品が東京グランプリ/東京都知事賞と、併せて3冠を獲得した「敵」の鑑賞を課題として提示。講義も、この3作品について、おのおののシーンをピックアップし、解説や論評、撮影当時を吉田監督が振り返る形で進められた。

特に、吉田監督が楽しみにしていたのは学生との質疑応答だった。「敵」は、長塚演じる妻に先立たれて20年、1人暮らしを続ける77歳の元大学教授・渡辺儀助が、預貯金の残高と生活費が何年持つかを計算し、自分の寿命を知るなど、自己管理した生活を送る一方で、昔の教え子に淡い恋愛感情を抱く姿を描く。

内容はシニア向けで、同監督自身、筒井康隆氏(90)の原作小説を30代で最初に読んだ際と、50代後半になって再読した際は、印象が違ったという。学生が並んで座る教室を見渡し「上映館に行っても、大体、僕くらいの年齢の人が1人で見に来ていて、こんな風景は絶対にない」と吐露。「30代の時、よく分からなかったと言っている作品を学生に見せている。(鑑賞しても)分かんなかったと思うんです、きっと。分かんなかったという気持ち、攻撃を浴びたいなと思って」と笑みを浮かべた。

そうした吉田監督の読みを、良い意味で裏切る意欲的な質問が学生から相次いだ。1年生の女子学生から「監督の作品は、どの映画もダークが多め。でも見終わったら明るい、前向きな気持ちになれているのが不思議。見て良かった、という気持ちになった」との意見が出た。同監督は「映画を作った時点で、まだ人間を諦めていないからかも知れない。人間が生きることだったり、死ぬことも含め、肯定したいという自分の祈りみたいな気持ち、姿勢みたいなものが残っていて、無意識に反映されているかも知れない。そういう気持ちが残っていたら、同じようなラストを作ると思う」と答えた。

また、男子学生からは「音に対するこだわりを感じた」との声もあった。吉田監督は「撮影は、どちらかと言うと苦手。大変だという気持ちが強い」と率直な思いを口にした。そして「音楽録音をして、効果音、セリフ…最後に近い工程、ダビングをやっている時が一番、楽しい。映画が撮れなくなっても。音楽録音とダビングだけ専門にやる監督でいたい」と口にした。「この先、どんどん、目が悪くなっていくし、耳も遠くなっていく…若い人に、こんな話して、どうするんだろう」と苦笑しつつも「イヤポッドを長い時間、付けない方が良いですよ」と、大学生たちに耳を大事にねぎらうことが年齢を重ねた先に必要だと語りかけた。

情報提供元: 日刊スポーツ_芸能
記事名:「 吉田大八監督、母校の授業に登壇「予備校で上京し映画を見る習慣。早大受験のモチベーションに」