尾上右近が勤める「春興鏡獅子」の獅子の精(撮影:岡本隆史)

松竹創業130周年「四月大歌舞伎」(4月3~25日、東京・歌舞伎座)で新歌舞伎十八番の内「春興鏡獅子」を勤める、歌舞伎俳優尾上右近(32)が14日、東京・東銀座の歌舞伎座で会見した。

1893年(明26)に“劇聖”とうたわれた9代目市川團十郎が初演。その後、その薫陶を受けた、右近の曽祖父の6代目尾上菊五郎が継承して、現在まで受け継がれている。1人の俳優がかわいらしい女小姓の弥生、一転して勇壮な獅子の精という対照的な2役を踊り分ける。

3歳の時に曽祖父の6代目菊五郎の「鏡獅子」を記録した、小津安二郎監督のドキュメンタリー映画を見せられたという右近は「前身の弥生から、獅子に変わる。女形と立役、どちらも入ってないとできない役だと思います。最近は立役が多いけど、10代の時は女形の役が多くて、思いも深いんです」と話した。

15年(平27)の自主公演「研の會」の第1回で務めてから10年たって、ついに歌舞伎座での本公演となった。右近は「考えてみたら、3歳の時に『鏡獅子』に出合って30年。自分の初舞台から25年。尾上右近襲名から20年。自主公演から10年。いろいろな周年が重なった。タイミングだったのかなと思います。自分でいいと思わなきゃ駄目なのが役者ですが、先人たちが有名にしたもので、市川家のお家芸。まだまだというところもあるから、どこに自分を置けばいいのかと思いますが、一周して考えてみれば、自主公演の時もやりたくてやりました。苦しいけど、楽しんでやります。“役者子供”という言葉が浮かびます。すごいけど、まだ早いとは思わない。ようやくという意味合いも強い。何も事情を知らない人が見ても、すごいと思ってもらいたいと思います」

今でも1カ月に20回は、小津安二郎監督の「鏡獅子」を見るという。「曽祖父に憧れることと、鏡獅子に憧れることは違う。技術、経験値も大切だけど、子供の頃から変わらない本質的な部分がある。6代目の天才的で純度の高さを、3歳のはるかに(今より)純度の高い研佑(本名)少年は感じたんだろう。魂の帰還というか、何かに汚れても、根本的なものは純でいたい。歌舞伎座でやらせていただくことに関しては、責任を感じています。段階があるものだと思うけど、僕はある種の“飛び級”。自主公演から本公演の間にしかるべきものがあるべきだと思うけど、飛び級を埋めるだけのできばえになるよう、自負を持って臨みたい」と話した。

一緒に舞台に立つ胡蝶の精を、尾上亀三郎(12)と尾上眞秀(12)が演じる。右近は「2人に『俺も鏡獅子を踊りたい』と思ってもらえたら成功。稽古で『けんけん(右近のニックネーム)は鏡獅子に懸けてるんだ』と思ってもらえたら。2人にアドバイスしながら一緒にいい作品を作っていく気持ちもあるけど、憧れられないといけない。一緒に頑張るなんて言ってられない、尊敬してもらいたいと思います」と笑った。

「鏡獅子」をやることを「私にとって生きる意味」という右近。「人は、朝起きてから夜寝るまで、判断を求められる。それがよりよい方に向かうように判断をしたい。その根本は『鏡獅子を踊った時にいい鏡獅子を踊りたい』というもの。宗教みたいなもの、神ですね」。「生きる意味」を達成してしまうことには「どうしたらいいんでしょう(笑い)。達成されたら、次のものが見つかると言われるけど、次の目標は2つ。『鏡獅子を当たり役にする』『鏡獅子をつくり上げた6代目のような情熱で、僕のひ孫がやりたいと言うような作品を作ること』。今は夢の中に入っていて、大変です」と話した。

◆尾上右近(おのえ・うこん)1992年(平4)5月28日生まれ。音羽屋。立役も女形もつとめる。歌舞伎舞踊の伴奏と唄である清元の7代目清元延寿太夫の次男。曽祖父は6代目尾上菊五郎。母方の祖父は俳優鶴田浩二。00年「舞鶴雪月花」で初舞台。7代目尾上菊五郎のもとで役者修行を積み、05年「人情噺文七元結」などで2代目右近を襲名。18年2月、7代目清元栄寿太夫を襲名、清元としても活動。スーパー歌舞伎2「ワンピース」のルフィで注目。21年(令3)のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では孝明天皇を演じた。170センチ、63キロ。

情報提供元: 日刊スポーツ_芸能
記事名:「 曽祖父6代目尾上菊五郎の当たり役「春興鏡獅子」を務める尾上右近が「私にとって生きる意味」