鈴木おさむ氏、放送作家になりたいと思ったきっかけ ピン芸人でオーデションを受けた時期も
元放送作家の鈴木おさむ氏(52)が22日、TBS系「人生最高レストラン」(土曜午後11時30分)に出演。放送作家になるきっかけを語った。
昨年、32年間活動した放送作家を引退した鈴木氏は「大学生の時に放送作家になりたかった」と振り返った。
「書くのが昔から好きだった」と言う鈴木氏は、1988~1991年に放送されたフジテレビ系のコントバラエティー番組「夢で逢えたら」を見て、「作家とか作り手のにおいがすごいした。こういうものを作る人間になりたいと思って」と、放送作家になりたいと思ったきっかけを明かした。
そして「大学1年の時にテレビ見てたら、太田プロのお笑いライブのドキュメンタリーやってて、ここに行けば放送作家に会えると思って。そこに前田昌平さんって…のちに僕の師匠ですけど、映ってたんですよ」と振り返った。
続けて「太田プロに芸人のオーディション受けるフリして、『放送作家になりたいんです』って言ったら、『最近の書き手は演者の気持ちが分からないから、半年間ネタを作って(ライブ)に出たら考える。自分でネタを作って上がりなさい』って言って…」と回顧。
そして「その月から自分でネタ書いて。ピンですね。で、オーディション受けて、やっていたんです」と振り返り、それを半年間やり、太田プロの〓(繋の車の下に凵)がりで山田邦子のラジオを担当したのが19歳の時と明かした。
そして、大学に在籍しながら、親にはうそをつき大学には行かず、「バイトとその仕事で、お金ゼロ円でしたけど、めっちゃ忙しいんですよ」と語った。